WPIで生まれた研究READING

災害多発時代の福音になるか?「寝てる間にPTSD軽減」研究を直撃(上)

新シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記スタート!

WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、研究分野と国のボーダー、言語と制度のバリアーを超え、世界に開かれた研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2019年現在、全国に13研究拠点が発足しています。

オープニング特別企画、2本連続登場の第1回は国際統合睡眠医科学研究機構(以下、IIIS)の驚くべき「寝ている間にPTSD対策」研究現場に潜入しました!

【清水 修, ブルーバックス編集部】

深刻化する津波被災者のPTSD問題

東日本大震災から丸8年。津波被災地の復興は少しずつ進み、地域も当初よりはずいぶん落ち着きを取り戻した感があるが、逆に8年の年月を経てより深刻化した問題がある。

被災者のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)の問題だ。

PTSDは自然災害、事故、犯罪、戦争、暴力などによって強い精神的ストレスやショックを受けた体験がトラウマ(心的外傷)となり、時間が経過してからも辛い体験の記憶から逃れられなくなるという症状である。

具体的には、感情の萎縮、フラッシュバック、悪夢、睡眠障害、怒りの爆発、精神的混乱、過度の警戒心など、幅広い症状が表れる。

日本では1995年の阪神・淡路大震災以後、PTSDの問題が大きくクロースアップされるようになったが、もともとは欧米において戦争帰還兵に多く現れた症状から社会に認知されていったものだった。

いま、8年を経て深刻化する東日本大震災被災者のPTSDのみならず、この数年、一気に増加したさまざまな自然災害(熊本地震、九州北部豪雨、大阪北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震、その他、毎年のように襲う大型台風等)の被災によって、近い将来、PTSDの問題はより広い範囲において多くの人々を悩ませる可能性が高まったと言えるのではないだろうか。

しかし、実際にはPTSD治療に関する研究は世界的にも発展途上であり、現在も多くの研究者によりさまざまな模索が続けられている。

その中でも有効性が確立されていると言われる数少ない治療法として、「持続エクスポージャー法」がある。

これは「安全な環境で医師やカウンセラーの立ち会いのもと、患者がPTSDとなっている辛い記憶をあえて思い出す、向き合うという作業をすることによって『辛い記憶を思い出しても、いまその辛い体験をしなければならないわけではない(いまは大丈夫だ)』と自らに認識させ、心に平穏を取り戻していく」という治療法だ。

持続エクスポージャー法は有効ではあるが、問題点もある。それは辛い記憶を思い出すことが患者の大きな精神的負担になるという点だ。

また、治療に要する期間が長く、半年に及ぶこともある。そのため、思い出す辛さのあまり、途中で治療を止めてしまう患者も少なくないという。

そんな折、世界トップレベル研究拠点(WPI)の一つである筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(以下、IIIS)で「睡眠とPTSDの関連性における新たな基礎研究」を進めている2人の研究者の存在を知った。

【 オレキシンと恐怖記憶の関係を探究 】

まず、我々が話をうかがったのは、征矢(そや)晋吾さん(IIIS助教。櫻井武研究室所属)。征矢さんはオレキシンという脳内物質(神経ペプチド)と恐怖の関連性、ひいてはPTSDとの関連性を研究している若き脳神経科学者だ。

征矢晋吾 助教(撮影:矢野雅之)

オレキシンは、柳沢正史PI(IIIS機構長。PIとはPrincipal Investigator、主任研究者のこと)と櫻井武PIが1998年に発見した神経ペプチドである。

当初、摂食行動に影響を与える脳内物質として注目されたが、その後、ナルコレプシー(居眠り病。日中、突発的に自分では制御できないほどの強い眠気に襲われる睡眠障害)との関連性が明らかになり、睡眠・覚醒との関連が研究されるようになった。

「もともと、学群生(他大学で言うところの学部生。筑波大学ではこう呼ぶ)のころ、ぼくは陸上競技をやっていたんです。

モチベーションや集中力といった、覚醒レベルに支えられる精神機能が競技のパフォーマンスを左右することを強く感じていたので、漠然とその関係性を知りたいと思っていました。そこからそもそも「覚醒」とは何かという興味に繋がっていきました。

ある時、櫻井先生のオレキシンに関するレビューを読んで、オレキシンが『覚醒』と深い関係があることを知り、その調節メカニズムを知りたいと思いました。それで、大学院では、当時、金沢大学にいらっしゃった櫻井先生の研究室の門を叩いたんです。

いうなれば、陸上競技という実体験からオレキシン研究に進んでいったということになりますね」(征矢さん)

【 「恐怖記憶」が形成されにくくなった! 】

オレキシンにはレセプター1とレセプター2という2つの受容体がある。このうち、「覚醒を維持する」というオレキシンの役割は主にレセプター2を介して行われる。

レセプター2をノックアウトしたマウス(レセプター2の遺伝子が欠損したマウス)は、覚醒を適切に保てないので活動期にも寝たり起きたりを繰り返してしまう、ナルコレプシーという病気に似た表現型を示すという。

オレキシン受容体拮抗薬の作用機序の例。オレキシンがモノアミン系を活性化するのをブロックする(ブルーバックス『睡眠の科学』より)

一方、レセプター1は睡眠・覚醒にはほぼ影響がないと言われている。征矢さんが院生だった当時、レセプター1に関しては生理的な役割がまだ十分にわかっていなかった。

「レセプター1はどのような生理現象と関係があるのか、それを知りたくて院生時代のぼくはレセプター1にフォーカスしていきました。それで、遺伝的にレセプター1が欠損したマウスを使って実験を重ねていくうちに、どうやら『恐怖』の記憶と関連がありそうだということが分かってきて。

レセプター1を遺伝的にノックアウトしたマウスと普通のマウスに同じ恐怖体験をさせてみると、レセプター1ノックアウトマウスは恐怖の記憶が形成されにくかったんですよ」(征矢さん)

もちろん、征矢さんの研究より前からマウスの驚愕反応やストレス応答などの「恐怖行動」とオレキシンのかかわりを研究している研究者は存在していた。が、「恐怖記憶」にフォーカスしてオレキシンとレセプター1との関係性を見ていったのは征矢さんが最初である。

修士課程、博士課程を通じてオレキシンと恐怖記憶の研究を続け、現在もその延長線上の研究を続けている。オレキシンはその覚醒における機能が注目されているので、恐怖記憶とオレキシンの関係を研究している研究者は世界でもまだ少ないという。

「それから、逆の実験をしてみました。情動と関係が深く、また、オレキシンのレセプター1が豊富に発現しているノルアドレナリン神経を人為的に活性化させれば恐怖応答が強化されるのではないかと思い、やってみました。

すると、そのマウスは通常ならば怖がらない状況でも過剰に怖がるという結果になりました。予測した通りの結果になったわけです。さらに、このマウスの行動がヒトのPTSD患者などに見られる『汎化』という現象に似ていると思いました。そして、これら一連の結果を論文にして発表しました」(征矢さん)

征矢さんの論文「Orexin modulates behavioral fear expression through the locus coeruleus(オレキシンは青斑核を介して恐怖反応を制御する)」は学術誌「Nature Communications」に掲載された。図は同論文プレスリリース掲載の「神経回路の操作による恐怖行動の減弱」。

心理学における「汎化」とは、一定の条件反射が形成されると、最初の条件刺激と類似している別の刺激によっても同じ反応が生じる現象のことを言う。

そして、その後、恐怖体験をさせたマウスにレセプター1の拮抗薬を投与してレセプター1の働きをブロックしたところ、恐怖応答が減弱していくことが判明した。

「それで、いま一番やらなきゃと思っていることは『恐怖記憶の固定化、想起、消去(上書き)という各プロセスにおいて、オレキシンのレセプター1がどのような役割を果たしているか』の解明です。

特に消去(上書き)のメカニズムとの関連性については、PTSD治療における持続エクスポージャー法とオレキシン拮抗薬を併用することでより高い効果が得られる可能性もあるため、とても重要だと考えています」(征矢さん)

それらの原理が解明できたならば、PTSDの新たな治療薬が登場するのも遠い未来のことではないかもしれない。


関連情報

過去記事