日本を救う、AIと睡眠科学の融合─有機的なつながりを生む“土壌づくり”(WPI-IIIS後編)
融合研究の舞台は、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)。基礎神経科学、創薬化学、実験医学を融合させた「睡眠医科学」という新たな学際研究を包括的に進めている。社会的な“睡眠負債”の問題解決に取り組みながら、「なぜ眠らなければならないのか」といったビッグ・クエスチョンの解明に挑んでいる。
前編で紹介したように、WPI-IIISは2012年の設立当初から神経科学と創薬科学の融合研究を進め、その成果は睡眠障害の治療薬という産物をもたらした。そして地道な基礎研究によって蓄積された膨大な研究データをさらに活用すべく、新たにデータサイエンスとの融合研究が加速している。2015年から始まったこの新たな融合研究は、人工知能(AI)による自動睡眠測定サービスなど、革新的な技術へと応用されている。
融合研究には双方向性が重要
データサイエンティストでWPI-IIIS主任研究者の北川博之さんは「もちろんデータの数も重要ですが、データさえあれば研究が進むわけはありません。そこからどんな知見を導き出せるのか、活用の方向性を見極めるには、睡眠科学の専門家との連携が不可欠です。研究のフェーズが進むほど、新たな課題も次々と見出されています」と話す。
例えば、リアルタイムでの解析が可能になれば、応用の幅もさらに広がるだろうと北川さん。「現在の計測・解析は、被験者が目覚めてから行いますが、リアルタイムになれば、例えば、治療中で意識のない患者さんの状況を把握する上で、一つの判断材料になるかもしれません」と話す。
このようにデータサイエンスの視点からの提案もあれば、「覚醒度についても分析を進めたい」と神経科学のサイドから新たなテーマが立ち上がることもある。バックグラウンドの異なる研究者が集い、互いの専門性に対する理解を深めているからこそ、有機的なつながりの中で融合研究が醸成されていく。
では、どのように融合研究の足場を築いてきたのか。筑波大学 計算科学研究センター助教で2017年からWPI-IIISの研究に加わった堀江和正さんは次のように話す。
「水曜日に開催される定期セミナーでは、各研究室が輪番で研究報告や論文紹介を行っています。私はニューラルネットワーク(脳の神経回路の一部を模した数理モデル)を研究してきたので、脳神経科学についてもある程度は理解できましたが、それでも最初は苦労しました。ずいぶん医科学の専門書を揃えて勉強しました。今では情報学の本より本棚を占めているかもしれません。それにしても柳沢機構長がニューラルネットワークにも、詳しいことには驚きましたね」
WPI-IIISの前事務部門長の小久保利雄さんは、大黒柱である柳沢機構長の存在は大きいと話す。
「柳沢機構長は、脳波による睡眠測定にこだわってきました。呼吸や心拍数、体動などから間接的に睡眠の状態を把握する試みもある中で、それを諦めなかったのです。そのために、過去にマウス1匹1匹の脳波を調べるデバイスもご自身で作られているので、電磁気学などの知識もお持ちです。自ら融合研究に尽力して、IIISのカルチャーが築かれてきたのだと思います」
現在、事務部門長を務める木村 昌由美さんは、WPI-IIISに着任する直前の2020年暮れに、初めて目にした「B&B」の光景が忘れられないという。
「Brie and Bordeaux、ブリ―チーズにワインを片手に、研究員のカンパと持ち寄りで開かれるIIISの名物行事です。飲食で少し場が温まってからセミナーが始まるのですが、いつも80人を超える研究員、学生が集まります。柳沢機構長もフランクな雰囲気を作ってくれるんです。研究員同士をつないで会話が弾んだら、いつのまにか去って、また次の紹介をとり持って……と海外でよくあるスタイルです。うねるように交流が広がっていく様子が印象的でした」
20年以上にわたって米国の大学で教授・主任研究者として培われた柳沢拠点長のキャリアは、こうしたコミュニケーションの場づくりにも生かされている。
吹き抜けのホールに浮かぶブタの造形は筑波大学の小野養豚ん(ようとん)さんが手掛けたアート作品
2023年2月には久しぶりに海外の研究者も招いた国際シンポジウムが開催され、積極的な国際交流が復活した。「融合研究においても、国際的な共同研究においても、やはり直接的な交流は非常に大切です。ちょっとした雑談の中で気心が知れると、深い話もできて、そこから新しい発想が生まれていきます。事務部門として、そうした機会をたくさん提供していきたいです」と木村さんは話す。
研究者を支える“お母さん”のような存在
国際シンポジウムのような一大イベントから、日常の困り事まで、事務部門の存在が頼もしいからこそ、研究者も研究に専念することができる。
現在はWPI-IIISの屋台骨として事務部門を率いる木村さんだが、基礎生物学者としてのキャリアも長い。30年近く、睡眠障害のメカニズム解明などに取り組み、そのほとんどを海外の研究機関で過ごしてきた。2018年に帰国し、豊富な海外経験を生かせるポジションとして、東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)に着任。URAとして研究マネジメントに携わったのち、より自身の分野を生かせる場として2020年にIIISに着任した。WPI拠点を跨ぐケースは珍しく、事務部門長に女性が就任するのも初だ。
「着任したばかりの頃、柳沢拠点長から『みんなの“お母さん”になってください』と言われたんです。その時は驚きましたが、だんだんその意味が分かってきました」
木村さんはドイツのマックス・プランク精神医学研究所に在籍時、グループリーダーとして自分よりキャリアの長い人を部下に持った経験もある。今後は国内でも同様のケースが増えるだろう。戸惑う人の支えになりたいと言う。一方で、若手研究者や学生の育成にも熱心だ。
「WPI-IIISが属する筑波大学には“どの学生も教員皆で面倒を見る”という素晴らしい文化があります。私自身はラボを構えてはいませんが、教員として学位審査に参加することも可能です。日頃から大学の各部局とのつながりを大切に、人材の流動性も含めて風通しの良い拠点を維持していきたいです」。木村さんが常に見据えているのは次世代の睡眠研究、そして睡眠医療だ。
「基礎研究から生み出された成果が成熟してきた結果として、社会実装に結び付くと考えています。今後も、研究がさらに発展しやすい環境づくりに注力していきたいです」
【取材・文:堀川晃菜、写真・図版提供:WPI-IIIS】
関連情報
過去記事
-
2019年3月26日