WPIで生まれた研究READING

災害多発時代の福音になるか?「寝てる間にPTSD軽減」研究を直撃(下)

新シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記スタート!

WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、研究分野と国のボーダー、言語と制度のバリアーを超え、世界に開かれた研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2019年現在、全国に13研究拠点が発足しています。

オープニング特別企画、2本連続登場の第1回は国際統合睡眠医科学研究機構(以下、IIIS)の驚くべき「寝ている間にPTSD対策」研究現場に潜入しました!

【清水 修, ブルーバックス編集部】

「睡眠学習」で記憶操作?

【 睡眠中に音を聴かせてPTSDケアを 】

インタビュー2人目は坂口昌徳さん(准教授。坂口研主宰)。坂口さんは「睡眠と記憶の関係とメカニズム」を研究している脳機能科学者だ。

基礎科学の研究者でありながら、常に現場の臨床医学への貢献を念頭に研究をしているのだという。

坂口昌徳 准教授(撮影:矢野雅之)

「私は主に2つの研究テーマに取り組んでいます。1つ目のテーマは『睡眠中に脳の中でどのように記憶が固定化されるのか』ということ。2つ目のテーマは『PTSDの新しい治療法を作れないか』ということ。

私たちの記憶の固定化(定着)のメカニズムはPTSDで生じる病態の仕組みと共通の部分がたくさんあるんですよ。PTSDの辛い記憶がどのように脳の中で定着するのかがもう少し分かってくれば、現在の治療法よりも良い治療法を考案できるのではないか。それが最初の発想でした」(坂口さん)

現在、坂口さんは国立精神・神経医療研究センターの金吉晴(きんよしはる)成人精神保健研究部長のもとに通い、実際の医療現場で患者の病態を学びつつ、自分の「マウスを使った基礎研究」をどのように臨床医学に結び付けられるかということを検討し続けているそうだ。

すでに紹介した「持続エクスポージャー法」は米国で広く認知されたPTSD治療法だが、この金吉晴博士が中心になって日本に紹介したのだとのこと。

「睡眠中に記憶の操作ができることはいくつかの研究で分かってきています。『ネイチャー』に掲載された論文で『何かを人に記憶させる際にある種のニオイを嗅がせておくと、学習内容とニオイが記憶の中で結びつく。その後、ノンレム睡眠中にそのニオイを嗅がせると、学習内容の記憶の定着がとても良くなる』という内容のものがありました」(坂口さん)

寝ている間にPTSDの辛い記憶を操作できるのであれば、患者にとっては意識的に辛い記憶を思い出す必要がないので、かなり精神的な負担が減るはず。

そこで、坂口さんはマウスを用いて次のような実験を行った。

まず、3匹のマウスに電気ショックなどで嫌な経験をさせてPTSDにする。その際、何らかの音を聴かせて嫌な記憶とその音を結び付けさせる。次に、マウスAにはノンレム睡眠中にその音を聴かせた。マウスBにはレム睡眠中にその音を聴かせた。マウスCには音を聴かせなかった。

すると、ノンレム睡眠中に音を聴かせたマウスAのみ、実験後に嫌な記憶への反応が減弱した。

つまり、眠っている時にPTSDに関係する音を聴かされたことによって、マウスAのPTSDの症状は軽くなったのである。

「この結果には驚きました。そして、眠っている時に音によるPTSDケアができるということを論文にして発表したのです」(坂口さん)

坂口さんの論文「Auditory conditioned stimulus presentation during NREM sleep impairs fear memory in mice(マウスに音条件付け刺激をノンレム睡眠中に聞かせると、恐怖記憶が減弱する)」より。学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

「今後は音を聴いてPTSDの症状が和らぐ際、脳内でどのようなことが起こっているのかを解明していきたいです」(坂口さん)

【 すでに実験装置を開発開始 】

ちなみに、そのメカニズム解明のために「UCLAミニスコープ」という小さな顕微鏡を使ってマウスの脳の神経活動を見ていく予定なのだそうだ。

UCLAミニスコープはUCLAのアルシノ・シルバ博士が考案し、設計図を公開しているミニ顕微鏡。対物レンズに当たる部分を動物(マウス)の頭に埋め込み、直接、脳の神経活動を観察することができる。光遺伝学によって神経活動を制御する実験もできるという。

超小型顕微鏡「UCLAミニスコープ」(撮影:矢野雅之)

さて、睡眠中の「音によるPTSD治療」は、今後、ヒトへの治験とすすんでいくのだろうか。また、社会実装できる可能性はあるのだろうか。

「IIISの佐藤誠先生(PI)、阿部高志先生(PI)と「ヒトにも『音を聴かせて記憶を操作する実験』が可能なのではないか」と検討しています。まずは基礎研究のレベルで考えていき、やがて臨床につなげていけるのではないかと考えています。

それから、社会実装に関しては、薬の投与などではなく音を聴かせるという治療になると思うので、将来は、そのための治療器のようなものをデバイス系の会社などと共同で開発していければいいなと思っています。

が、実はすでに、治療器というよりは実験装置として『自動で睡眠を分析してくれる機械』を考えはじめています。筑波大学AIセンターの手塚太郎先生と東京大学の大西立顕先生に相談させていただいて、いま装置の開発中です」(坂口さん)

オレキシン制御による恐怖記憶の操作。そして、音によるPTSDケア……近未来のPTSD治療のカギは、睡眠・覚醒に関わる研究にある。災害多発時代に必要な精神医療がこのIIISから生まれてくることを大いに期待したい。

IIIS内の動物実験施設にて。さまざまなマウスがよく眠っていました (撮影:矢野雅之)

取材協力:筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)


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