WPIで生まれた研究READING

幹細胞を神経細胞へ導く─“運命の出会い”から生まれた「型破りな培養足場」─(MANA前編)

融合研究のきっかけとなった“運命の出会い”を再現する有賀さん(左)と中西さん

「さすがに、それは無理じゃないですか」

 議論は行き詰っていた。界面科学の専門家で国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA)主任研究者の有賀克彦さんは、ある野望を胸にグループのメンバーと話し合っていた。すると、そこへ一人の研究者が通りかかる。

「……あ! 中西さん、ちょうどいいところに! こっち、こっち」

 手招きされたのはMANAで別のグループに在籍していた細胞生物学の専門家、中西淳さんだった。一つ屋根の下、異分野の研究者が遭遇し、会話を交わした日から3年後。この2人が率いる研究グループは、幹細胞研究の常識を覆し、再生医療の低コスト化に光をもたらす研究成果を発表した※1

誘導因子、いりません

 物質・材料研究機構(NIMS)内に拠点を構えるWPI研究拠点のMANAは、2019年12月に「液々界面に生じるしなやかなタンパク質ナノ薄膜が幹細胞を神経に導く」という成果をリリースした※2。その内容は、水と油のように混じり合わない2つの液体の界面(隙間)にタンパク質の薄膜を形成し、その薄膜上で幹細胞の一種であるヒト間葉系幹細胞(hMSC)を培養すると、誘導因子を用いなくても神経細胞に分化させることができた、というもの。

図1. 液々界面で実現した間葉系幹細胞の神経分化誘導の概念図

図2. パーフルオロカーボンの一種pefluorooctane(PFO)と、さらにフィブロネクチンを添加した培地上で分化した神経細胞(培養から2週間後、スケールバー: 200μm)

 間葉系幹細胞は、神経細胞の他にも、骨、血管、骨格筋、心筋、脂肪など、さまざまな細胞に分化することができる。骨髄などから比較的容易に得られ、白血病やパーキンソン病の治療などにも使われている。再生医療への応用にも期待がかかるが、望みの細胞へと効率よく分化させるには、サイトカインなどの分化誘導因子を用いることが一般的だ。しかし、こうした誘導因子は高価であることから、再生医療を見据えたときにコスト面が課題となっていた。誘導因子を用いずに、神経分化に成功したことは低コスト化に向けた大きな一歩となるだろう。

「トータルで従来法と比較するのは難しいですが、分化誘導の工程に関しては約10分の1のコストダウンが見込めます。間葉系幹細胞を神経細胞へ分化誘導する場合、通常は細胞増殖の段階を経て、2週間程経ったタイミングで分化誘導因子を含む培地に変えます。これに対し、我々の手法では、分化誘導因子を加えなくても増殖培地のままで、細胞が自ら進んで神経細胞へと分化します。分化誘導用の培地の価格は、増殖用の培地の10倍ほどしますので、その分を削減できることになります」と中西さんは話す。

中西 淳(なかにし・じゅん)物質・材料研究機構 機能性材料研究拠点 ポリマー・バイオ分野 メカノバイオロジーグループ グループリーダー。2001年東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了、博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、理研基礎科学特別研究員、早稲田大学助手、科学技術振興機構さきがけ研究者などを経て、2006年より物質・材料研究機構に着任。2016年よりMANAグループリーダー。2020年より現所属。早稲田大学先進理工学研究科ナノ理工学専攻 教授を兼任。2011年文部科学大臣表彰若手研究者賞受賞。

 では、なぜ間葉系幹細胞は、誘導因子もなしに神経細胞に分化するのか。そもそも、細胞機能を調べる際には、ディッシュと呼ばれる硬いプラスチック製のシャーレの上で細胞を培養するのが普通だ。ゲル上で培養することもあるが、固体状であることに変わりはない。今回のように非常に揺れ動く液体の上は、不安定ではないのだろうか。

「力」に着目した足場形成

 中西さんたちは、新たに開発した手法を「液々界面における究極的にしなやかな足場形成」と表現する。足場とは、細胞が増殖するための基盤(基質)で、生体内ではコラーゲンやフィブロネクチンなどの細胞外マトリックスがその役割を担っている。組織再生の研究においては、人工的に細胞外マトリックスを模した足場材料を使用する。

 近年、この足場が単に細胞が増殖するための足がかりとなるだけではなく、分化や組織の形態形成、恒常性の維持など、生存に必要な合図を出していることが明らかになっている。その合図となるのが「力」だ。つまり足場材料の力学特性が、細胞のふるまいを制御する重要な因子となっている。

「私は化学出身なので、もともと生体分子の結合など生化学、分子生物学の目線で生命現象を捉えてきました。これに対し、物理的な力の関与に着目して生命現象や病態を捉えるのがメカノバイオロジーです。力学刺激と化学的なシグナル伝達をつなぐ機構を解明することで、分子生物学を補完し、より包括的に生命現象に迫る新たな分野として注目されています」と中西さん。

 特に細胞の分化については「2006年に基質であるハイドロゲルの硬さによって分化が変化することが報告されました。細胞は基質に対してある種の“ひっぱり試験”をして、わずかな力学特性の違いを読み取って自らの運命を変化させているのです。さらに実際の生体内では細胞は自身に都合が良いように基質を変化(リモデリング)させています。こうした知見をもとに、これまでにも、基質の硬さや凹凸に着目した足場材料の開発が行われてきましたが、分化誘導の効率が十分ではなく、課題を抱えていました」と話す。

 その突破口となった今回の新手法。やはり絶妙な力加減がカギを握っている。細胞は水溶性の細胞培養液と、油の一種であるパーフルオロカーボン(PFC)の間で培養される。ただし細胞は直接、液体と接しているわけではなく、PFC上に形成される薄膜を足場にしている。その薄膜の正体は、培養液中に予め含まれているタンパク質と、別途添加するフィブロネクチンというタンパク質が混じり合ってできたタンパク質の単分子膜だ。

 単分子膜ということは、その薄膜はわずか分子1つ分と非常に薄い。その薄膜を介して細胞を下支えするPFCは医療用にも使われる材料で、疎水性かつ水より比重が重い。それでいて、液体なので流動性がある。界面が揺れ動いても、細胞にとっては船から見た波のうねりのようなもので、むしろタンパク質の薄膜は、足場として適度な強度を保ちつつ、しなやかで、幹細胞が働きかける力に応じて変形・集積することができる。中西さんたちは、このことが神経細胞への分化を促していることを突き止めた。

図3. 水─PFCの液々界面における培養。タンパク質の自己組織化で界面にナノ薄膜が形成される

しなやかな足場は細胞と「対話」する

 下の図は、パーフルオロカーボンの一種であるPFOを用いた場合に、初期の神経分化が起こり、その後、フィブロネクチンを添加することで、さらに神経細胞の成熟化が進んだことを示している。このとき、細胞の牽引力(基材をひっぱる力)を弱める試薬を入れると、成熟が進まないことも同時に確認されている。

図4. 免疫細胞染色による神経分化マーカー遺伝子の発現評価。PFOおよびフィブロネクチンコーティング(FN)を施したPFOで培養し、2週間後の時点。FNの有無によらず、PFO上ではガラス基板上では見られない初期の神経分化を示す遺伝子TUBB3の発現が確認された(A上段、B)。液体表面をFNでコーティングすると、成熟した神経細胞であることを示す遺伝子MAP2の発現が確認された(A下段、C)。さらに細胞の牽引力を弱める試薬Y27632を添加するとMAP2の発現は大幅に低下した(C)。

 さらに、単に「やわらかい培地」とも違うことが見えてきた。一般的に、やわらかいゲルなどで培養する間葉系幹細胞は神経細胞に分化しやすいことが知られている。しかしその際に、伸展した形状や、細胞を支える細胞骨格(F-actin)の張力繊維などは見られない。ところが、今回の手法では2週間の培養後も伸展した接着形状を保っており、細胞骨格の繊維も確認されるなど、いくつかの特徴的な違いがみられた。

「幹細胞は通常のディッシュ培養とは全く異なる増殖、分化の挙動を示しました。私たちは、細胞がひっぱる力に応じて、液々界面にあるフィブロネクチンが凝集化(フィブリル化)していくことも確認しています。やわらかいだけでなく、細胞のはたらきかけに順応できる膜だからこそ起こる再構成(リモデリング)だと考えられます。プラスチックのディッシュでは、この現象が起こるまでに時間がかかることや、分化誘導因子を加える場合にはそのタイミングが重要であることなどを考えると、おそらく早期の段階でフィブリル化が起こることが重要ではないかと考えています」(中西さん)

図5. 細胞との相互作用によりタンパク質ナノ薄膜に生じる変化。(A)hMSCを播く前(0 h)と播いた後(4 h, 24 h)のナノ薄膜の様子。4時間後には,ナノ薄膜上に付着した細胞(赤:アクチン,青:核)の辺縁部にフィブロネクチン(緑)が束状に濃縮され始め(白い矢印),24時間後にはより束が太くなる。(B)想定されるAの過程のメカニズム。

 動的に変化できる、しなやかな足場だからこそ可能な細胞との相互作用。液々界面によって細胞と足場の「力学的対話」をうまく引き出すことで、神経以外にも、今後さまざまな種類の細胞へと分化誘導できるようになることが期待されている。

 それにしても、液体上で、しかも液体間に挟んで細胞を培養するという発想自体、ものすごく斬新だ。どうやって、この方法にたどり着いたのだろうか。

鴨がネギ背負ってきた!

 ここで冒頭のシーンを思い出してほしい。事の発端は、界面科学の研究者である有賀さんが抱いていた、ある野望だった。なんと「生きもので膜をつくってみたいんですよ」と有賀さん。「例えば、ミジンコとか」。

(え、ミジンコで膜……?)

「ぼくは、とにかく、ありとあらゆる“膜”を作ってみたいんです。でもさすがにミジンコは動き回りますし、大きさ的にも厳しいという話になって。ならば、細胞ではどうかと」

(細胞膜を作りたい、ではなく……??)

「液体上に細胞を並べて“生きた膜”を作りたいというのが、最初の発想です」

(そりゃまた、どうして……かは、後編記事をご覧ください!)

有賀 克彦 (ありが・かつひこ) 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 (MANA) 主任研究者。ナノマテリアル分野超分子グループグループリーダー。1987年東京工業大学大学院修士課程修了(90 年に工学博士)。東京工業大学工学部助手、テキサス大学博士研究員、JST 超分子プロジェクトグループリーダー、奈良先端科学技術大学院大学助教授、相田ナノ空間プロジェクトグループリーダーを経て04年より物質・材料研究機構グループリーダー、07年より主任研究者。東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻教授を兼任。

 そして研究員とディスカッションしていた有賀さんの前に、タイミングよく偶然にも中西さんが通りかかる。視線の先に中西さんを捉えた瞬間「鴨がネギを背負ってきた! と思いましたね」と有賀さん。一方の中西さんは「突然声をかけられ、ちょっと身構えました」と振り返る。

 もちろん、有賀さんも誰彼構わず声をかけたわけではない。「中西さんの研究分野も、話しかけやすく、まじめな人柄も知っていたので」と話す。MANAには、年単位のシンポジウムの他、月2回の研究発表会「リサーチセミナー」が開かれるなど、情報共有の機会が頻繁にある。「組織が大きすぎず、小さすぎないことが大切」と中山知信副拠点長が話すように、リサーチセミナーも1年以内には一周し、各グループの進捗をアップデートできる。研究拠点として分野の多様性を維持しながらも、各研究者の強みや個性を拠点内に浸透させる上で、適度な規模を保つことは重要だ。

 さらに、MANAの各階には、コミュニケーションスペースがあり、テーブルと椅子が置かれている。研究の話でなくとも、気軽に会話ができる。そんな日々の研究環境の中で自然発生的に融合研究の種が芽吹くのは、まさにアンダーワンルーフのWPI拠点ならではと言えるだろう。

WPI-MANA棟の外観と1階のコミュニケーションスペース

完璧なるキャスティング

 だが、しかし。ミジンコから始まり、再生医療の「さ」の字もない状態から、どうやって着地点を見出していったのか。

「調べてみると、1980年代に液体の界面で細胞が飼えた、という報告がありました(その液体こそ、今回の手法でも用いられているPFO)。それで有賀さんが言っていることも、あながち間違いではないかもしれないと思えたのです。単に培養するだけでなく、分化をコントロールできれば、世界初の事例になると確信を深めていきました」(中西さん)

 そこで後日、改めて中西さんを訪ねたのが、当時有賀さんのグループにポスドクとして所属していた南 皓輔(みなみ・こうすけ)さんだ。有賀さん曰く“エリートで生意気”な南さんは、この研究のパイオニアとして存分に力を発揮。WPI拠点の中でも外国人比率の高いMANAは、あえて日本人に特化して優秀な若手研究者を集める「YAMATO-MANA program」を実施していた(現在は終了)。南さんもその一人だった。

 南さんはまず筋芽細胞で実験を行った。筋芽細胞は筋繊維の前駆細胞であり、間葉系幹細胞から分化する。さらに筋芽細胞が分化を遂げると、最終的に収縮能力を持った筋線維となる。つまり幹細胞より1段階進んだ状態からスタートし、液面で筋芽細胞が筋分化する様子を観察・評価、どの遺伝子がはたいているのかを調べた。その成果は2017年に論文※3掲載され、いよいよ満を持して間葉系幹細胞で試すこととなる。

 この研究を引き継いだのが、2人目のキーパーソン、Xiaofang Jia(シャオファン・ジア)さんだ。ジアさんもまたWPIによって採用されたポスドクで、彼女が生物系だったのはまさに時の運だった。だが、先行研究があるとはいえ、細胞の種類が変われば、条件も変わる。幹細胞からスタートすると、培養も長期化するため、接着性だけでなく安定性も重要となる。有賀さん曰く“物静かな優等生キャラ”のジアさんは、培養条件を間葉系幹細胞にアジャストさせる地道な仕事を着実にこなしていった。2019年には、液体の種類によって異なるタンパク質薄膜を細胞が“力”によって見分けていることを報告。これが細胞と足場の間に力学的な対話があることを示す決め手となった。

 こうして、有賀さんの「奇抜な発想」、中西さんとの「運命の出会い」、そして「優秀な若手研究員」の三拍子が見事に揃い、今回の研究成果は生まれた。新たな培養手法として現在も技術的なチューニングと、現象理解のための科学的なアプローチが続いている。

 ナノスケールでの設計、構築、材料機能の創造といった「ナノアーキテクトニクス」の下、幅広い分野から独創的で、ハイレベルな研究人材が集まるMANA。そこから生まれる融合研究に予定調和なものはない。後編では、自由発想と実用研究を両立するMANAの環境と、それを支える思想体系に迫る。

【取材・文:堀川 晃菜、写真・図版提供:MANA】

《参考文献》

※1 Xiaofang Jia, Kosuke Minami, Koichiro Uto, Alice Chinghsuan Chang, Jonathan P. Hill, Jun Nakanishi, Katsuhiko Ariga. Adaptive Liquid Interfacially Assembled Protein Nanosheets for Guiding Mesenchymal Stem Cell Fate. Advanced Materials. 32 [4] (2020) 1905942, https://doi.org/10.1002/adma.201905942

※2 プレスリリース「液々界面に生じるしなやかなタンパク質ナノ薄膜が幹細胞を神経に導く」https://www.nims.go.jp/news/press/2019/12/201912100.html

※3 Kosuke Minami, Taizo Mori, Waka Nakanishi, Narumi Shigi, Jun Nakanishi, Jonathan P. Hill, Makoto Komiyama, Katsuhiko Ariga. Suppression of Myogenic Differentiation of Mammalian Cells Caused by Fluidity of a Liquid–Liquid Interface. ACS Applied Materials & Interfaces. 9 [36] (2017) 30553-30560, https://doi.org/10.1021/acsami.7b11445

※4 Xiaofang Jia, Kosuke Minami, Koichiro Uto, Alice Chinghsuan Chang, Jonathan P. Hill, Takeshi Ueki, Jun Nakanishi, Katsuhiko Ariga. Modulation of Mesenchymal Stem Cells Mechanosensing at Fluid Interfaces by Tailored Self‐Assembled Protein Monolayers. Small. 15 [5] (2019) 1804640 10.1002/smll.201804640
https://doi.org/10.1002/smll.201804640


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