WPIで生まれた研究READING

宇宙を見る目で「がん」を捉える ―異分野の壁を超えるイメージング技術―(Kavli IPMU前編)

議論を行う高橋グループのスタッフの様子。
前列左から織田氏、武田氏、柳下氏。後列左から高橋氏、桂川氏、梅田氏。


 その研究室には、超新星爆発の後、残されたガスがどう広がるのか数値計算に取り組む理学部出身の研究者がいる。ピンセットを手に自作のアナログ集積回路を基板に取りつける作業に集中している工学部出身の研究者もいる。一方、ホワイトボードに化学式を書き込みながら、放射性薬剤候補の検討を重ねる消化器内科の専門医もいる。

 何も知らず、ここを訪ねた人は、彼らはたまたま同じ部屋にいるだけで、各人異なる研究テーマに取り組んでいるのだろうと思うかもしれない。

 しかし、実のところ、彼らは単に空間を共有しているだけでなく、研究テーマも共有し、同じ目標に向かって協力している。宇宙の謎に魅了される宇宙物理学者、電子回路の専門家、そして医師——彼らは、いったい何をしようとしているのか。

 それは、がんの可視化だ。

 一口にがんと言っても、がん細胞の種類は多種多様だ。がんが発生する臓器ごとにまったく違うし、同じ臓器にあるがんも細胞レベルで見れば一つ一つみんな違う。彼らが挑んでいるのは、その種類を識別し、どんな分子がそれぞれの細胞にいくつ取り込まれるかといったレベルで細かく捉えることだ。

 その先に見据えているのは、がん治療である。しかも、何度も再発、転移をくり返す悪性度の高いがんの治療だ。

 がんの可視化、がん治療を目指し、異分野の研究者が結集しているのが、「JAXA – Kavli IPMU/東京大学 硬X線・ガンマ線イメージング連携拠点」として、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 (WPI-Kavli IPMU)に設置された、高橋忠幸教授の研究チームである。

高橋 忠幸 氏

 高橋教授は、2018年2月にJAXA(国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所からKavli IPMUに移籍した。X線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」のプロジェクトリーダーを務めるなど、X線・ガンマ線天文学の分野をリードしてきた高橋教授は、Kavli IPMUでも、数々の衛星を用いたプロジェクトに関わり、中性子星、ブラックホール、超新星残骸などの研究を進めている。

 そんな高橋教授が、なぜ、がんの可視化や、がん治療といった医療分野に乗り出すことになったのか。そして、数(学)と物(理)を連携することで宇宙を研究し、その研究機関名のどこにも「医(療)」が含まれていないKavli IPMUに、医療応用に取り組む研究チームが生まれることになったのか。

「あれがなかったら、医療分野に本格的に乗り出すことはなかったでしょうね」と高橋教授は言う。

 話は、2000年代のはじめに遡る。当時、高橋教授は、JAXA宇宙科学研究所で、米カリフォルニア工科大学のFiona A. Harrison教授が主導する気球実験計画に参加するための準備を進めていた。それは超新星、ブラックホール、中性子星など、宇宙の高エネルギー現象をX線で観測するための装置を気球に複数積んで打ち上げる計画だった。

「自前で気球を打ち上げる予算を得られなかったので、Harrison教授らの計画に相乗りする予定でした。ところが、彼らが同時進行で進めていた衛星打ち上げ計画がNASAの予算を獲得して、気球を打ち上げる必要がなくなった(NuSTAR計画。2012年に打ち上げに成功)。2007年頃のことです」(高橋教授)

 その結果、気球に搭載するつもりで4年もの歳月をかけて開発し、完成にこぎ着けていた検出器の使い道がなくなった。

 当時、大学院生として高橋研究室で、その検出器を開発したのが武田伸一郎さんだ。

「気球実験に参加して、ブラックホールを検出したいと思って高橋研に入ったんですが、気球を打ち上げないことになって……。でも、そのとき急に、開発した検出器を使って小動物をイメージングしようという話が持ち上がったんです」(武田さん)

 実は高橋教授は、その検出器が、動物や人などの体の中を細かく可視化できる可能性を秘めていることを以前から認識し、群馬大学の重粒子線医学研究センターの中野隆史教授 (現:量子科学技術研究開発機構 量子生命・医学部門長) をはじめとした医学研究者と意見交換を重ねていた。とはいえ、ものになるかどうかはわからない。具体的な取り組みに発展することなく時間が過ぎたが、気球実験の中止が転機になった。

「ブラックホールが小動物になったけど、まあ、いいか、と(笑)。それから小動物体内のイメージング実験をはじめました」(同)

武田 伸一郎 氏
(写真はKavli IPMU ものしり新聞第9号より)

 その後、武田さんはJAXAから理化学研究所(神戸)・分子イメージング研究センターの複数分子イメージング研究チームに移り、高橋教授とも緊密に連絡を取りながら、小動物のイメージング技術の開発をスタートさせた。

 ブラックホールも、小動物の体内も見ることのできる検出器。それが、テルル化カドミウム検出器である。

 テルル化カドミウム、通称カドテルは、カドミウム(Cd)とテルル(Te)からなる化合物半導体である。カドテルには興味深い特徴がある。それは、通常の物質なら、何の痕跡も残さず素通りしてしまう硬X線と呼ばれる高いエネルギー(約10KeV以上)のX線や、ガンマ線(約100KeV以上)を吸収し、高い感度で検出できるという性質だ。Cdの原子番号は48、Teの原子番号は52で、その化合物半導体であるカドテルの実効原子番号は50と大きく、密度も高いので、高いエネルギーの電磁波を吸収しやすい。

 またカドテルは、侵入してきた硬X線、ガンマ線のエネルギーを吸収した後、それぞれのエネルギーに比例した量の電荷を出してくれるので、その電荷量を測定することで、元の硬X線、ガンマ線のエネルギーを見積もることができる。別の言い方をすれば、エネルギー分解能が高い。しかも、その性能を室温で発揮でき、大がかりな冷却装置が不要なので、装置全体の小型化が見込める。

 さらに、高精度の光学系と組み合わせることで、硬X線が飛んできた方向を精度よく観測できる。高エネルギーの電磁波に特有の、コンプトン散乱と呼ばれる現象を積極的に利用すれば、エネルギーの高いガンマ線が飛んで来た方向も推定できる。

 このような利点があることは早くから理論的に予想できたので、1970年代以降、医療の他、空港における手荷物検査、放射線計測に応用する目的で、カドテルの開発が精力的に進められた。しかし、結局、実用化に至らなかった。その理由の一つは、不純物を取り除いた上で、大きな面積を持つカドテル結晶を作るのが難しかったことだ。

 半導体結晶だけで、検出器が作れるわけではない。結晶の他にも、放射線が結晶内に侵入してきた時に生じる電子・正孔を引き寄せるための電極素材が必要だ。だが、カドテル結晶が潜在的に持っている高いエネルギー分解能を引き出す適当な電極素材が見つからなかった。

 ところが、1990年代、沖縄にあるアクロラド社が、大面積のカドテル結晶の製造に成功する。高橋教授は同社と早速共同研究を始めた。この時に高橋教授が声をかけた学生の一人が、現在までずっと一緒に研究を行っている渡辺伸さん (現 JAXA宇宙科学研究所助教, Kavli IPMU連携研究員) だ。

 高橋教授の目的は、医療でも、空港での手荷物検査でも、放射線検査でもなく、宇宙だった。硬X線、ガンマ線の情報から、ブラックホールが銀河の形成にどんな影響を与えるのか、あるいは高エネルギーの宇宙線がどこでどのように生まれるのかを知りたかったのだ。

 質のいい結晶は手に入った。次は、電極素材だ。高橋教授が目を付けたのは、優れた性能を示すものの、短時間しか動作しないことから、長らく見捨てられていたある素材だった。

 1995年から1996年にかけて、高橋教授は、この素材を使い、カドテル検出器に高い電圧をかけてから冷却すると、高い性能を長時間安定して出せることを発見。その上、この安定化の理由を定量的に説明することにも成功した。その後、改良を重ね、世界のカドテル検出器開発競争でトップに立った。「国際会議で、我々のカドテル検出器について話す時はいつも会場が満員になりました」(高橋教授)という。

 高橋教授の研究成果を元にしたアクロラド社のカドテル検出器は、欧米のX線・ガンマ線天文衛星や、日本のASTRO-H「ひとみ」への採用が進んだ。前出・武田さんが気球実験用に開発し、後に小動物生体内イメージングへ転用する検出器も、この成果が下敷きにされている。

 医療分野で利用されることを期待されて開発がスタートしたものの、思い通りの性能が出せずに停滞していたカドテル検出器を、宇宙分野が育てたわけだ。

「宇宙を対象に選んだおかげで、息の長い研究が許され、長いスパンでの研究計画をデザインできたんだと思います。実際に検出したい現象によって検出器の感度やエネルギー分解能が決まるので、それを達成するためにこれまで改良を重ねてきました。私の研究室で修士号や博士号を取った学生がたくさんいますが、彼らが積み上げてきた研究の上に今があるんです」(同)

 学問分野ごとに進展のスピードに違いがある。天文学や素粒子物理学の場合、華々しい成果が次々と出てくる時期もあるが、大半はゆっくりと進む。少なくとも部外者にはそう見える。それでも「宇宙の謎を3年以内に解いて発表しなければ予算を与える価値はない」などと文句を言う人はいないだろう。これらの学問分野では、謎を一つ解いたら別の謎が現れ、またその謎を解いてと、少しずつ真相に迫っていくものだと多くの人は了解しているからだ。一方、医療分野はそういうわけにはいかない。人の命を救うという差し迫った問題があるから、実用化のめどのない研究に対する世間の目も厳しくなりがちだ。

 しかし、異なる時間軸で進んでいた研究開発が、異なる分野で要求される水準にいつのまにか近づき、技術転用の射程内に入ることもある。カドテル検出器においては、そのタイミングが、たまたま2007年の気球実験キャンセルにより、武田さんがブラックホールから小動物へ、イメージングの対象を変えた頃だったわけだ。

 武田さんは理化学研究所で、カドテル検出器による小動物の生体内イメージングに取り組んでいたが、2011年、JAXA宇宙科学研究所へ移った。高橋教授に呼び戻されたのだという。

「福島第一原子力発電所の事故で、大量の放射性物質が飛散し、周辺の住民の人たちに大きな影響が出ました。その状況を見て、私たちが持っている技術を使えば、ホットスポットを可視化できるはずだと考えたんです。JAXAやJST(国立研究開発法人科学技術振興機構)から支援も得られたので、武田さん、それから渡辺伸さん(現・宇宙科学研究所助教)に協力してもらい、カドテル検出器の技術を応用した超広角コンプトンカメラの原理実証機を開発しました」(高橋教授)

 2012年2月に、当時計画的避難区域に指定されていた福島県飯舘村で実証実験を行ったところ、敷地や家屋に飛散していたセシウム同位体から放出されるガンマ線を、核種の違いに合わせて識別して検出し、画像化することに成功した。この原理実証機を元にした製品も、三菱重工業から「ASTROCAM 7000HS」として販売された。180度の視野角を持ち、そのファインダーを覗けば、どこにどの程度のガンマ線源があるか、20〜30メートル先まで捉えられる小型で持ち運びもできる放射線測定器だ。

 武田さんが宇宙研で放射線測定器やASTRO-Hに搭載する検出器(軟ガンマ線検出器SGD)の開発をしている間、小動物の生体内イメージングの研究は中断した。しかし、再びチャンスが巡ってくる。

 高橋教授が語る。

「沖縄科学技術大学院大学の菅原寛孝先生から、新設する最先端医療機器開発ユニットのために人を探していると相談を受けたんです。菅原先生は、高エネルギー加速器研究機構の機構長も務めた素粒子物理学の著名な理論家ですが、ご友人の多くをがんで失い、悲しい思いをされているとのことでした。そこで加速器の技術も応用できる放射線医療を発展させるための研究開発を進めたいと考えられたわけです。沖縄をシリコンバレーのように発展させるために、最先端の医療技術にも取り組むべきだと高い理念を持っておられました。菅原先生の願いに応えられるのは、武田さんしかいないと、武田さんを送り出したわけです」

 武田さんは沖縄で、小動物の生体内を3Dで可視化する難しい課題にとり組んだ。めざすのは既存の装置よりも一桁優れる解像度だ。1台の検出器で得られる画像は2Dなので、3D可視化を実現するには、複数の角度からデータを取得し、得られた情報をもとに逆問題を解き、3D分布を再構成する必要がある。福島用放射線測定器やASTRO-H搭載の検出器の設計で培った知見をフル活用し、武田さんは8台のカドテル検出器を組み上げたイメージング装置を完成させた。

 ところが、ここで研究継続が危ぶまれる事態が持ち上がる。菅原教授の定年退官に伴い、最先端医療機器開発ユニットがいったん解消されることになったのだ。せっかく順調に進展し、着実な成果を上げていた研究が中断するのはあまりにもったいないと、武田さんらの研究を引き取り、さらに発展させる形で発足したのが、冒頭に触れた、JAXA、Kavli IPMUによる「JAXA – Kavli IPMU/東京大学 硬X線・ガンマ線イメージング連携拠点」である。

 新たな拠点をKavli IPMUに作るに当たって、高橋教授や武田さんは、生物、医学の研究者の参加が不可欠だと考えた。物理実験の研究者たちだけで先走っても、現場の医療従事者がほしいものからかけ離れたものができたら、元も子もないからである。そこで高橋教授は、旧知の慶應義塾大学医学部の佐谷秀行教授(慶應義塾大学病院副院長)を訪ね、協力を仰いだ。

「佐谷先生は、現在は日本癌学会の会長さんです。忙しくて一緒に実験はできないとのことでした。しかし、それならと佐谷先生に紹介していただいたのが、柳下(淳)さんです。佐谷先生の言葉を借りれば、『これほどの人材は日本に一人しかいない』とのことでした」

柳下 淳 氏
(写真はKavli IPMU ものしり新聞第9号より)

 柳下さん自身も「日本にそんなにいないでしょうね」と言う。

「大学時代には内視鏡、放射線診断学、病理診断学など、主に画像診断学のトレーニングを受け、消化器内科の専門医になりました。画像診断学を応用する医師の役割はとても大きいと考えています。なぜなら自分たちの診断で、患者さんの運命が決まってしまうからです。私は臨床に携わる一方で、ある分子を標識する蛍光プローブを自分で作りたいと思って、東京大学薬学部に相談に行くと、『うちでやってもいいよ』と言われたんです。それから有機合成の手法を学んで、蛍光イメージングに関する研究をしていました」

 プローブとは生体内や組織を探索するための手掛かりのことで、トレーサーとも言う。多くは、分子に放射性同位元素や蛍光物質などを結合させて作る。高橋教授は「生体イメージングは、プローブがあってなんぼの世界なんです。それもどこかに売っているようなものでは研究が前に進みません。われわれの検出器の特徴を理解した上で、それに最適なプローブをゼロから作れる人が必要でした。その点、柳下さんはうってつけでした」と語る。

 柳下さんは今も週1回診療を受け持ち、現役の医師として臨床現場を知っている上に、有機合成ができ、イメージングに関する研究経験もある。その意味で、日本に珍しいタイプだったわけだが、そんな柳下さんには、もう一つの強みがあった。当時、柳下さんがたまたま国立がん研究センター東病院で勤務していたことである。同病院は、Kavli IPMUのある東京大学柏キャンパスに隣接している。

 こうして高橋教授の研究チームは、柳下さんを加えたおかげで、柳下さんが持つ医療分野の人脈とも繋がりができた上、近所の最先端医療研究拠点のリソースにアクセスする道が拓けた。実際、柳下さんの仲介で、国立がん研究センター・先端医療開発センターの藤井博史・機能診断開発分野長との共同実験がスタートした。研究チームが今、検出器の試作機を、Kavli IPMUからがん研究センターの放射線管理区域に持ち運び、放射線源を使って実験できるのは、この共同実験体制があるからだ。

小動物体内の薬物分布を可視化する実験の様子。左から柳下氏、武田氏、桂川氏。
(国立がん研究センター柏キャンパス内の先端医療開発センターの実験室にて撮影)

【取材・文:緑 慎也、写真提供:Kavli IPMU (ものしり新聞9号の写真は大野真人氏撮影)】


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