組み合わせ無限大!「ニオイ」を測って世界平和を達成する方法(下)

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組み合わせ無限大! 「ニオイ」を測って世界平和を達成する方法(下)

新シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記スタート!

WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、研究分野と国のボーダー、言語と制度のバリアーを超え、世界に開かれた研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2019年現在、全国に13研究拠点が発足しています。

第2回は国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(以下、WPI-MANA)の「ニオイセンサー」開発現場に潜入しました!

【清水 修, ブルーバックス編集部】

どんどん広がるニオイの可能性!

2015年9月、MSSの実用化を加速すべく、国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)、京セラ株式会社、国立大学法人大阪大学、日本電気株式会社、住友精化株式会社、NanoWorld AGの6機関共同で、要素技術の研究開発を行う「MSSアライアンス」を発足させ活動を継続している。さらに2017年4月には、旭化成株式会社もこのMSSアライアンスに参加した。

MSSアライアンスでは、先に紹介したMSS標準計測モジュールなどのセンサーデバイス開発、感応膜材料の開発、精密評価システム開発、計測データ分析・解析環境の開発などの重要要素技術を研究開発し、やがてはMSSを軸とした嗅覚センサーの「規格」を確立しようとしている。メーカーがさまざまなものにMSSを組み込めるように標準規格を定めようとしているのだ。

この規格ができあがれば、まさに嗅覚センサーのデファクトスタンダードとして世界に浸透していく可能性が高い。

さらに、2017年11月には、MSSのオープンな実証実験を行うべく「MSSフォーラム」が設立され、多くの企業が加入して実証実験が始まった。

「今後も『基礎的な原理研究』と『社会実装のためのシステム研究』を並行してやっていこうと考えています。MSSアライアンスで作ろうとしている規格では『a, b, c, ……の感応膜を有するチップAを搭載したモジュールαで、このような条件で測定すれば、これだけのニオイを測定可能で、このような用途に使えます』という具合に、嗅覚センシングの最大公約数となるものを決めていくことになります。

しかし、ニオイは千差万別なので、用途によって感応膜だけでなく、モジュールや測定条件などシステムレベルでもカスタマイズしないといけない部分が大きいんですね。そういうシステムの研究もやっていかなきゃいけない。

現在、MSSはいろいろな用途での実装が期待されています。食品の熟成、ヘルスケア、農畜産業、環境関連(部屋のニオイなど)、製品の品質管理など。期待される幅がとても広いので、それぞれの用途に合わせたカスタマイズが重要になってくるわけです」(吉川さん)

【 果物の食べごろ判定から医学まで。応用範囲も無限大 】

たしかに、これだけ小さいMSSをうまくカスタマイズして社会実装していけば、その使用範囲はものすごく広いはず。実際に「ラ・フランス(洋梨)の食べごろをニオイで判断」(MSSフォーラムメンバーである弘前大学との共同研究成果)などもすでにできるようになっているらしい。将来的には、果物にMSSをかざして食べごろを判断する時代になるのだ。スイカを叩いてる場合じゃない!

「いや、そうなるかもしれない。ということなので」(吉川さん)

なるかもしれない? 確実になるんじゃないんですか?

「確実になります。が、もう少しいろいろ調べる必要があります」(吉川さん)

いろいろ企業も参画してきた現在、言えないこともあるのだろう。

現在、MSSアライアンスやMSSフォーラムの設立によって社会実装が進みはじめた状況だが、吉川チームでは医学研究者と共同で、医療応用の可能性を探る基礎研究も行っている。呼気や尿のニオイで「がん」の早期発見をしようという試み。人のニオイを犬に嗅がせてがんの早期発見をするという研究は、何かのニュースで見た記憶があるけれど。

「まさに、その『がん探知犬』のように『がん探知MSS』を作りたいと思っているのです。現在、小島寛先生(茨城県立中央病院)、佐藤幸夫先生(筑波大学)、宮下正夫先生(日本医科大学)と共同研究をさせていただいています」(吉川さん)

説明してくれる吉川さん。夢はどんどんふくらんでくるようだ(撮影:長濱耕樹)

「呼気や尿のニオイで病気が分かるという話は昔から言い伝えられてきたことなのですが、なぜ、そのニオイ分子が体内から出てくるのかということを突き止めないと病気との関連性が分かりませんよね。

人間が病気になって代謝経路などが変化すると、どんなニオイ分子がどの経路を経てどれだけ出てくるか。これってひとつを突き止めるだけでも医学的に重要な発見になりますが、それを何十種類も見つけていかないと、ニオイと健康状態との『因果関係』を完全に理解するには至らないわけです。

そのため、まずはニオイと健康状態の『相関関係』を、MSSなどのセンサーで見出して、その再現性などが確認できれば、スクリーニングなどに利用することができるだけでなく、そこから逆に『因果関係』を解明するヒントが得られるかも知れません」(吉川さん)

これはすごい話だ。実際にさまざまな病気がニオイ判定できるようになったら、臨床医学に大きなパラダイム転換をもたらすだろう。

【 難易度の高いニオイの計測と解析 】

MSSの標準計測モジュールはとりあえず第三世代でひと段落だとのこと。つまり、ハードとしてはもう完成か。あとはデータ解析の方法と実際のAI構築というソフト的な研究開発ということになる。

「いや、まだ、そう簡単ではなさそうです。用途しだいですが、ハードも継続的に改良が必要だと思いますね。

ニオイというのは『測るのが難しいニオイ』と『測りやすいニオイ』があるのです。たとえば、人間は悪臭に敏感なので、ものすごく低い濃度でも悪臭には反応します。だから、悪臭をターゲットにするのであれば、センサーもより低濃度で感知できるようにしなければなりません。

それから、厄介なのが湿度と温度。あるニオイと別のニオイを見分ける場合、2つのニオイに対するセンサー応答の違いで判断するわけですが、似たニオイになると、その応答の違いよりも、湿度や温度で生じるブレの方が大きくなってしまうことがあります。その場合は、湿度や温度をきっちりと管理して測定しないと見分けられないことになります」(吉川さん)

特に大変なのは「湿度の克服」だそうだ。つまり、湿度がパーセンテージレベルで変化している時にあるニオイを同定できるかという問題。湿度による値のブレは当然、補正して答えを出さなければならない。

呼気や食品など、サンプルそのものが水分を含んでいることもある。また、ニオイ測定ではその日の外気なども考慮しなければならない。湿度が低いカラカラの日と湿度が高いベトベトの日ではセンサーの応答も変わってくる。

MSSがつなぐ科学技術と社会

「だから、将来、スマホなどに実装して持ち歩くMSSを作ろうとしたならば、GPSと連動させて、その場所・その時間の大気の状態などをパラメータとして加える必要も出てくるかもしれません。

このMSSの最終的な形のひとつはパーソナルユースだと思っています。その場合、MSSを携帯する持ち主の嗅覚とどうリンクさせていくかということも重要になると思います。スマホの中の『鼻』がだんだん持ち主の鼻の感覚に近づいていくようにAI学習させていく感じです。

そのためには持ち主が今、置かれている環境のパラメータも含めて解析する必要があるわけですね」(吉川さん)

スマホの中に『鼻』を持てる日がやってくるのか。まさにエンハンスメント。

【 ニオイ計測で目指す世界平和 】

なんていう夢のある話を廊下で聞いていたら、吉川グループの研究発表用ポスターを発見した。え? 最終目標は「世界平和」?

「そうです。私たちのニオイ研究の最終目標は『世界平和』。歴史学の先生方と話すと、紛争の頃の日記などには『あいつら(敵)は、くさい』という記述があったりするそうです。ニオイって今までは客観的な指標がなかったので、主観的にしか判断できなかったんですよね。

ニオイの客観的な指標を作って、ちゃんと計測できるようになったら、ニオイに対して理性的な判断がしやすくなります。ニオイは感情に直結しているので、感情的な行動を少しでも減らすことができるかもしれません。

そうやって理性を取り戻すことで、人間は冷静になり、現状よりは少しでも世界平和に近づくはずだと考えています」(吉川さん)

「ニオイで世界平和を」ポスターが掲示されていた(撮影:長濱耕樹)

ニオイ計測で目指す世界平和! これはまた大きな目標を掲げたものだ。主観から客観へ。考えてみれば、社会に客観的な視点を示唆し、理性をうながすことは、科学者の社会的使命としてもっとも大きなものだろう。

(撮影:長濱耕樹)

MSSの研究は、まさに科学技術と社会をつなげる大きな架け橋だった。人が理性を取り戻すためのツールを実現するために、WPI-MANAの若手ホープたちは、今日もつくばの地でニオイの研究を続けている。

(撮影:長濱耕樹)

取材協力:国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)