WPIで生まれた研究READING

東北の珍味「ホヤ」の殻を使った“最先端”触媒の実力がスゴかった…!(上)

好評シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記 第10回!

WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、異なる研究分野間、言語と文化の垣根を超えて世界の英知が結集する、世界に開かれた国際研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2023年3月現在、全国に17研究拠点が発足しています。

10回目となる「潜入記」の舞台は、東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR)。こちらでは、地元・東北の珍味「ホヤ」に注目して、地球規模の問題を解決しようという“驚き”の研究が行われています! 国内外のメディアが大注目する研究について、 藪浩准教授にお話を聞いてきました。

【清水 修、ブルーバックス編集部】

レアメタル不要の「ナノ血炭」触媒!

思えば、2015年頃……世間では「水素元年」という言葉がやたら飛び交っていた。世界初の市販燃料電池車(FCV)であるトヨタ『MIRAI』の写真を眺めながら「ああ、そうか。日本は地球温暖化対策を水素でやるのだな。水素社会(水素エネルギー社会)を構築してカーボン・ニュートラルを実現するつもりなのだ」と思ったものだ。

しかし、その後はあまり印象がない。2019年のグレタ・トゥーンベリさんのスピーチ(@COP24)の影響などもあって、各国は地球温暖化対策を加速し始めたが、「水素社会」という言葉はなぜか当初ほど見かけなくなった。期待されていた燃料電池車のシェアも伸びず、テスラ車を中心とする電気自動車(EV)の販売台数と比べて普及はイマイチらしい。

そんな状況下で、昨年(2022年)、ロシアがウクライナに侵攻。対する欧州はロシアの資源ナショナリズムに対抗するエネルギー安全保障的観点から、脱・ロシア依存のための水素戦略に注力しつつあるようだ。カーボン・ニュートラルというよりも、背に腹は代えられないエネルギー問題の解決案として水素社会を目指しつつあるのだろう。さて、日本はどうするのか……。

水素社会の目玉のひとつである燃料電池の普及がなかなか進まない理由は、やはりコストの問題だ。水素と酸素を化学反応させる際に必要なレアメタル(白金族金属)が高価なので製造コストがかかるのだ。要するにレアメタルを使わないで済むようにすれば良い……。と思って調べていたら、ちょっとおもしろいものを見つけた。

ナノ血炭? なんだろう? これを使うと「レアメタルが要らない燃料電池」ができるらしい。研究者の名前を見ると、なんと、東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR)の藪浩准教授。

実は、筆者は5年前に一度、藪准教授に取材している。その時は「ナノ血炭」なんて話は全然、出てこなかった。ぜひ、この研究の話を聞かなくては……。というわけでさっそく、我々WPI潜入チームは「ナノ血炭」の謎を解明すべく仙台へと向かった。

「おひさしぶりです! お元気でしたか」

杜の都で我々を出迎えてくれた藪浩准教授(WPI-AIMR・ジュニア主任研究者)は以前と変わらず、髭を湛え、優しい目をしていた。ナノ血炭のことを聞きにきたと告げると、さっそく説明を始めてくれた。

東北大学材料科学高等研究所の藪浩准教授/撮影 大西陽

「ナノ血炭というのは、私たちが作った新しい『触媒』の名前です。これは燃料電池や金属空気電池のための触媒です。まずは、そもそもの前提となるところからお話ししますね……。

燃料電池は『負極( − )で水素を水素イオンと電子に分けてその電子で電流を発生(発電)させ、正極( + )で水素イオンと電子と酸素を結びつけ、水が出てくる』という仕組みになっています。中学の理科でやる『水の電気分解』を逆からやっているわけですね。金属空気電池(単に空気電池とも呼ぶ)は、この負極に金属を使い、正極には外から取り入れた酸素を使う仕組みです。 金属空気電池は外の酸素を使って正極にするので電池の中の体積を負極の材料で満たすことができます。だから、普通の乾電池やリチウムイオン電池よりもエネルギー密度が高く、発電効率が良いのです。

燃料電池も金属空気電池も化学反応を起こすための触媒が必要となります。触媒にはレアメタル(白金族金属)が使われていて、これが高価。産出国が限られていて産出量も少ないですからね。だから、レアメタルの代わりの触媒として『ナノ血炭』触媒を開発したのです」

東北大学材料科学高等研究所の藪浩准教授/撮影 大西陽

実は、白金族レアメタルの代替触媒として従来から研究されている「カーボンアロイ」というものがある。これは炭素の中にいろいろな触媒サイト(化学反応を起こす成分)を組み込んだもの。

いろいろな触媒サイトというのは窒素や鉄などのヘテロ元素で、これが触媒的に働く。アクリル繊維の主成分であるポリアクリロニトリルなどを使ったカーボンアロイ触媒が過去には報告されている。特に、鉄イオンを錯化した「FeN₄構造」を保つカーボンアロイは高い酸化還元活性(ORR活性)を示すことが知られている。

「当初は『カーボンって炭だよな』と思って、炭は昔からどう使われていたのかを調べていったのです。それで動物由来の炭、『獣炭』の存在を知りました。獣炭には『骨炭』と『血炭』の2種類があります。骨炭は動物の骨を焼いた炭で、昔から吸着剤として使われていました。血炭は木に動物の血をかけて焼いた炭で、日本酒の漂白剤として使われていたそうです」

おお、ナノ血炭の「血炭」が出てきた。そんなものが昔からあったのか。

「実は私も血炭に関してそれ以上のことはよく分かりません。調べてもあまり出てこないのです。いわゆる『活性炭』の一種として、獣炭(骨炭・血炭)が昔から使われていたらしいのですが……。我々や動物の血液には酸素を吸着するための『ヘム鉄』という成分が含まれています。このヘム鉄はカーボンアロイのFeN₄構造と同じなのですよ。だから、血炭と同じように、炭素をもつものに血液を混ぜて焼いてやれば、新しいカーボンアロイ触媒ができるだろうと思いました。そこで、ホヤ殻由来のセルロースナノファイバー(CNF)と乾燥血粉を混ぜて焼いてみました」

「ホヤ殻」と「家畜血液」の廃棄物処理問題を解決

なるほど。それでナノ血炭触媒を。しかし、なぜ、血液と一緒に焼くものをホヤの殻にしたのだろうか。

「実は、その頃、気仙沼の方から『ホヤの殻を有効利用できませんか』という相談を受けていたのです。気仙沼はホヤの産地ですが、食べたあとのホヤの殻の処理が産業廃棄物として問題になっていました。ホヤというのは唯一の『セルロース(繊維)を作り出す動物』です。つまり、ホヤの殻にはCNFが詰まっている。

論文検索をしてみると、『海藻類など海洋由来のセルロースは結晶性が高くて良い炭素材料になる』ということが2000年くらいに報告されていました。ホヤの殻も海洋由来なので良い炭素材料になるのではないか。ホヤのCNFとヘム鉄を含む乾燥血粉を一緒に焼けば、性能の良い『FeN₄構造の電極触媒』になると思いました」

ホヤ殻(右)由来のCNF(左)。乾燥血粉と一緒に焼くとナノ血炭ができる/撮影 大西陽

ナノ血炭の原料となる乾燥血粉は豚由来だそうだ。つまり、家畜の廃棄血液を使っている。ホヤの殻の廃棄物処理が問題となっているのと同様、家畜の廃棄血液も実はその処理が問題となっている。廃棄血液を河川に流すと、水中の有機物の代表的な汚染指標であるBOD(生物化学的酸素要求量:Biochemical Oxygen Demand)が上昇する。

家畜の廃棄血液を廃棄せずに活用することは畜産業の重要課題なのだ。東北では水産業も畜産業も盛んなので、ホヤの殻と家畜の廃棄血液を有効利用することはそのまま、東北の環境問題の解決策のひとつとなるわけだ。

「乾燥血粉というのは血液をそのまま乾燥させただけのものなので、いろいろな成分が入っています。ヘム鉄由来の鉄、リン、タンパク質由来の窒素、硫黄など。ナノ血炭ではそれらが入っているので様々な触媒活性を持たせることができました。つまり、触媒としての用途が広いのです。

様々な触媒活性はそれぞれ触媒活性点が異なるので、ひとつの触媒反応が他の反応を邪魔することはありません。金属空気電池の酸化還元反応にも酸素発生反応にも使えます。また、燃料電池、金属空気電池、水電解システムのいずれにも使用できます」

ナノ血炭と他の触媒の特徴比較/藪浩准教授提供の図をもとに編集部で一部再編集を行っています。
※1:Hiroya Abe et al.(2019, NPG Asia Materials.) DOI:https://doi.org/10.1038/s41427-019-0154-6
※2:Yelena Gorlin and Thomas F. Jaramillo.(2010, Journal of the American Chemical Society.)DOI:https://doi.org/10.1021/ja104587v
【ホヤの殻が触媒に!?】「ナノ血炭」を活用した亜鉛空気電池の実験の様子

「バイオミメティクス」の発想で生まれたナノ血炭

ホヤと家畜の廃棄物から作ったスペシャルな触媒。開発の際に苦心したこともあったのではないか。そもそも、この触媒の開発期間ってどのくらいだったのだろう。

「開発で苦労した点は2つありました。ひとつめは、いろいろな成分が混ざっているので化学的に同定するのが大変で、さらに『最適な作り方』を探すのが大変だったということ。焼く温度やホヤ殻と血粉の混合比率によって出来上がるものが少しずつ変わってくるのです。いろいろ試して最適なところを見つけるのに苦労しました。

2つめは乾燥血粉の『保管』の大変さ。乾燥血粉ってとてもカビが生えやすいのですよ。気づいたら、保管していた血粉が緑色になっていたりして、血粉を焼いているのかカビを焼いているのか分からないほどでした(笑)。ちゃんとデシケータ(防湿庫)に入れて保管するようにしたら、やっとカビが生えなくなりましたが。

そういう試行錯誤もあったので、結局、開発期間は2年くらいかかりました。血炭のことを知ったのが2020年の11月くらい。今、お話しした試行錯誤をしながら実験と評価を繰り返し、最終的には、2022年1月に『Science and Technology of Advanced Materials(STAM)』という学術誌に論文が掲載されました」

ナノ血炭について説明する藪准教授/撮影 大西陽

研究期間が2年! これはずいぶん速いのではないか。

「一般的に研究はもっと長い時間がかかりますが、今回は知識も設備も材料も揃っていて、あとはナノ血炭を作って評価していくだけだったから速かったのだと思います。白金族ナノメタルの代替を産業廃棄物のバイオマテリアルでやったというところが材料科学っぽいと思っています。プレスリリースの反響はけっこう大きくて、BBC(英国放送協会)が取材に来てくれました。日本と違って、英国ではホヤを食べないと思うのですが、興味を持ってもらえたのはうれしかったですね」

5年前に取材させていただいた時の筆者の印象では、藪准教授はとてもクリエイティブなバイオミメティクス研究者であった。バイオミメティクス(Biomimetics)とは自然界の生物の構造や機能をヒントに新たな構造や機能を持つ物質やモノを創り出す科学である。

5年前の取材では「蓮の葉のように水をはじくハニカムフィルム」、「モルフォ蝶、タマムシ、ミヤマハンミョウの不思議な光沢を人工的に創る技術」、「岩に貼り付くムール貝の吸着力を再現した接着剤」など、わくわくするほどgroovyな研究成果を解説してくれた。今回のナノ血炭もバイオミメティクスと呼べるのだろうか。

「もちろん、ナノ血炭も広い意味でのバイオミメティクスですね。そういう意味では私が設立したベンチャー企業、『AZUL Energy(アジュール・エナジー)』でやっている触媒開発もバイオミメティクスです」

そうだった。5年前の取材から現在までの間に藪准教授は大学発ベンチャーを立ち上げている。その話もぜひ聞きたいと思っていたのだ。


関連情報

過去記事