ロボットが教えてくれる「偏見のない世界」の作り方(上)

認知ミラーリング技術で共感し合う社会(上)

好評シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記 第6回!

WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、異なる研究分野間、言語と文化の垣根を超えて世界の英知が結集する、世界に開かれた国際研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2020年現在、全国に13研究拠点が発足しています。

6回目となる「潜入記」の舞台は、東京大学 国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)。「認知ミラーリング技術」の研究で知られる認知発達ロボティクス研究室の長井志江特任教授にお話を聞いてきました。

【清水 修, ブルーバックス編集部】

リモート時代の“人間感覚”

Zoomミーティングはなかなか良い。ぼくはけっこう気に入っている。

コロナ禍が続く昨今、同様に思っている人はけっこう多いと思う。そもそも、仕事の効率が上がる。会議場所までの移動時間がないので楽だし、なぜか必要なこと以外あまりしゃべらないので打ち合わせがどんどん進む。話を遮るような質問も会議の流れを止めずにチャットでできる。時間が来たらスパッと退出して会議終了。立ち話がないので次のオンライン会議に遅れることも少ない。

しかし、時々、退出後に不安になることがある。なんとなく結論が出ちゃったけど、みんな、ちゃんと共感してくれているのだろうか……。

面と向かって行う会議なら、言葉だけでなく表情、息づかい、細かい所作などいろいろな情報が入ってくるので相手が共感しているかどうか、なんとなく感じ取れる。オンライン会議だとこれがないので不安になる。言葉以上の「共感」を得たいのだ。

などと思っていたら、ロボットをツールにして、人と人の共感、感覚の共有などを研究している研究者を発見した。東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)長井志江特任教授。我々、WPI潜入チームはさっそく東大本郷キャンパスに向かった。

オンライン取材で、シミュレーターを擬似体験

と、いつものように書いてしまったが、コロナ禍のため、本郷キャンパスの長井研究室を訪れることは断念。オンラインインタビューと相成った(いや、Zoomミーティングは気に入ってるから、いいんですけどね)。

東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)の長井志江特任教授

「こんにちは。長井です。今日はよろしくお願いします。まずは最初に動画を見てください」

長井特任教授のパソコン画面が共有され、動画が始まった。子供のような見た目のロボットがゆっくり動いている。その隣にヘッドマウントディスプレイ(VRやARを体験する時に使うあれです)を装着した女性が座っている。

「この女性が装着しているヘッドマウントディスプレイでは隣のロボットが見ている映像がそのまま再現されています。つまり女性はロボットに乗り移る体験をしています。子供型ロボットなので、子供の視線を体験していることにもなりますね」

次に、さきほどとは違う形のヘッドマウントディスプレイ(こちらはメガネ型)を装着した女性が室内から外に出ていく様子を映している動画。

時折、女性がディスプレイで見ている映像が出てくる。白く霞がかかったり、砂嵐が吹いていたりするので、晴天の景色(建物の外の景色)がとても見づらい。

「これは自閉スペクトラム症の方の視覚を体験できるASD視覚体験シミュレーターです。このようなツールを使えば定型発達者が自閉スペクトラム症者の『見え方』を体験することによって共感し、理解を深めることができるわけです」

自閉スペクトラム症者って、他人とのコミュニケーションが困難な人なのだと思っていた。まさか、「見え方」までこんなに違うとは!

自閉スペクトラム症者の見え方 上の写真の風景が、自閉スペクトラム症の方には、下の写 真のようにハレーションを起こし白く眩しく見えたり、砂嵐が吹いていたりするように見えている。それぞれの拡大画像はこちら:スキー場の風景駅のようす雪の街角

「自閉スペクトラム症に対して多くの方々がそのように思っています。だからこそ、知覚世界を体験していただいて当事者の真の困りごとを理解してほしいのです」

長井研究室では大きく分けてふたつの「研究の柱」があるそうだ。

ひとつめの柱は「人の感覚から運動に至る認知プロセスを鏡のように映し出し観測可能にする情報処理技術『認知ミラーリング』によって、ヘッドマウントディスプレイなどのウェアラブル装置に自閉スペクトラム症の知覚世界を再現する研究」。なるほど、その成果を実際に定型発達者に体験してもらって共感や理解を促しているのが前述の動画なのだ。

ふたつめの柱は「人工的なニューラルネットワークモデル(人間の脳内の神経細胞『ニューロン』による回路網を数理的に表現したモデル)を開発し、それをロボットに搭載して学習過程を見ていく研究」。つまり、人間が生まれた時から学習を積み重ねていくプロセスをロボットの成長によって理解するわけだ。特に、発達障害者の脳の仕組みを理解することに焦点を当てているとのこと。

ロボットによって、定型発達者と障害者の感覚の差を表現し、ロボットによって、人間の成長の不思議に迫っていく。どちらも、ロボットによって人間を知るという姿勢が素人の我々にとってはとても新鮮なアプローチに思える。

認知ミラーリングをきっかけに社会を変える

「まずはひとつめの柱である『認知ミラーリング』の研究についてざっとご説明します。私たちの研究室は東京大学先端科学技術研究センターの当事者研究ラボ(当事者研究分野・熊谷晋一郎研究室)と8年間ほど共同研究を続けています。その過程で、熊谷准教授からリタリコさん(株式会社リタリコ:障害者の就労支援や教育支援を行なっている社会的企業)をご紹介いただいて、開発システムの社会実装という面で共同研究にご協力いただいています」

当事者研究ラボの「当事者研究」とは、発達障害者が自らの視点(当事者視点)から問題点を研究し、その解決に向けて模索していく研究スタイルである。長井研究室では認知ミラーリングシステムを通して、自閉スペクトラム症などの発達障害者が抱える困難さを客観化、定量化する研究を行う。その成果(知覚・運動データ)を当事者研究ラボと共有し、当事者研究に役立てていく。

また、認知ミラーリングシステムによって定量化された困難さを体験できるシミュレーターを作り、リタリコが行なっている就労支援や教育支援の場において定型発達者、具体的には支援や療育に携わる方や障害者の家族・同僚・友人などに広く体験してもらう。それによって発達障害に対する偏見やスティグマをなくしていく。

「今まで、自閉スペクトラム症者が抱える問題は対人的なコミュニケーションの問題だと言われ続けてきました。つまり、自閉スペクトラム症者の『社会性』の問題なのだと。しかし、問題の一部はコミュニケーション以前の、当事者の見え方や聞こえ方、つまり感覚レベルに起因すると私たちは考えています」

リタリコは長井研究室が開発したシミュレーターを使って、就労支援や教育支援の現場で体験イベントを実施。また、イベントのみならず、企業にシミュレーターを持って行って人事担当者に体験してもらうなど、実際の就労支援の現場でも活用しているそうだ。

「自閉スペクトラム症者は自分の感覚の特徴を周囲に理解してもらうことによってとても気持ちが楽になるそうです。また、本人も自分の感覚を客観的に把握できると『自助』が可能になります。見え方の困難さを解消するためにサングラスをかけるようになるとか、聞こえ方の困難さを解消するためにノイズキャンセラー機能のついたヘッドフォンを装着するようになるとか。

つまり、シミュレーターを使ってもらうことは、いろいろな意味でのきっかけ作りになるのです」

人間の情報処理の特徴である『予測符号化』

それではふたつめの柱である「人工的なニューラルネットワークモデルの開発」について教えていただけますか。

「はい、脳の中の信号伝達のネットワークを模した数理モデルを作っているわけですが、私たちが開発しているモデルの特徴として『予測符号化理論』に基づいたものであるという点が挙げられます」

予測符号化理論?

「人間の脳は感覚器から視覚、聴覚、触覚などの外部情報を受け取って情報処理をしています。しかし、実は、外部からの情報を受け取るだけでなく、常にそれに対して『予測』をしているのです。脳は過去に得た『外部情報に関する知識や経験』を元に『受け取るのはどんな外部情報なのか』を予測します。

そして、受け取った外部情報と自らの予測結果を照合させてその誤差を最小化する情報処理をし、自分の中の情報処理モデルを書き換えているというのが『予測符号化』という考え方です」

予測符号化 外部から感覚器をとおして脳に情報が入ると、脳は過去の経験をもとに受け取る情報に対して予測をする。さらに受け取った情報と予測結果の誤差を最小化し、脳の中での情報処理モデルを書き換えている

脳が予測符号化を行っていることを検証する例としては『錯視』が挙げられるという。錯視とは目の錯覚で実際とは違うように見えてしまうこと。脳は目から入ってきた外部情報を過去の知識や経験で予測符号化することによって実際とは違うように判断してしまう。多くの場合、脳は予測符号化により情報判断を最適化しているのだが、時には錯視のように、予測符号化を行ったがゆえに判断を歪める場合もあるということだ。

「そのような予測符号化の原理に基づいて、私たちはディープニューラルネットワークモデルを開発しました。そのモデルをロボットに実装して、『人間の子供のように学習して成長していけるか』を検証、研究しているわけです。とはいえ、実は、そのようなモデルをロボットに実装して定型発達者と同様に学習させるだけでは、人間の知能や認知発達に関する理解は深まりません。

そこで、単に学習させるだけではなく、モデルのさまざまなパラメータを変えて自閉スペクトラム症者の脳を模したモデルを作り、学習にどのような影響が現れるかを検証するという研究をしています」

ちなみに、自閉スペクトラム症者の脳は予測機能が「過度に弱い」のではないかと言われている。過度に弱いと予測符号化が適正に機能せず、さまざまな感覚的な問題が起こるというわけだ。予測が弱いと錯視も起こりにくくなるという。

そこで、長井特任教授は「自閉スペクトラム症者の脳は予測機能が過度に弱いだけでなく、『過度に強い』というケースもあるのではないか」という仮説を立てた。

予測機能が過度に強いと幻覚を起こしやすいと言われているので、自閉スペクトラム症者などの発達障害者が体験しがちな幻視や幻聴も、予測が「過度に強い」ゆえに起こるのではないかと考えている。それを人工的なニューラルネットワークモデルで検証するという研究を続けている。

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