WPIで生まれた研究READING

宇宙を見る目で「がん」を捉える ―異分野の壁を超えるイメージング技術―(Kavli IPMU後編)

桂川 美穂 氏

 高橋教授の研究チームではカドテル検出器以外でも、宇宙衛星プロジェクトや宇宙物理学の研究で得られた知見や技術の医療応用が進んでいる。その一つは解析手法の研究だ。検出器から得られる信号は、そのままでは使い物にならない。様々なエネルギーを持つ信号が、どこから来て、どういう意味を持っているのか解析しなければ、天文現象の実体に迫ることはできないのだ。超新星残骸の研究で博士号を取得した桂川美穂さんはその解析手法の医療応用に挑んでいる。

「これまで超新星残骸が発するX線の観測データを解析してきました。超新星残骸から出てくるX線と、生体内の放射性薬剤から出てくるX線は同じで、その解析手法も似ているんです」(桂川さん)

 超新星残骸と小動物や人では、時間的にも、空間的にもスケールが、文字通り桁違いだ。それでも、エネルギーごとにX線やガンマ線をスペクトル解析するなどの手法は共通する。

「がん細胞と超新星残骸を調べる時に必要な知識は全然違いますが、プローブを取り込んで光っているがん細胞の写真が、超新星残骸に似ていると感じる時もありますよ(笑)。医学領域では画像解析、特にAIを使った画像解析が進んでいます。そういった技術は、超新星残骸の研究にもフィードバックしたいですね」(同)

2019年に Kavli IPMU で開催した「The cosmos at high energies: exploring extreme physics through novel instrumentation」という革新的な観測装置で切り拓く極限物理をテーマとした国際会議で会議の趣旨を説明する高橋氏。
高橋氏や桂川氏など、高橋グループに所属する物理学分野のメンバーは、宇宙観測用ガンマ線イメージング検出器の医療応用研究だけでなく、現在でも従来から取り組んできたブラックホールや超新星残骸など高エネルギー宇宙物理学の研究を続けている。
会議には天文から原子物理、データサイエンスまで様々な分野の理論や実験の研究者が参加した。


 研究チームには電子回路のエキスパートも参加している。高橋教授が「自分が知るかぎり、日本にいる若手の中で3本の指に入る人で、アナログ集積回路をゼロから作る技術を持つ」と評価する、織田忠さんだ。小さい時から様々なものを分解したり、趣味で電子回路を作ったりしていた織田さんは学生時代、「放射線源にセンサーをあてると、何も見えないのにオシロスコープに信号が表示されるのが面白い」と思ったという。東京大学工学部原子力国際専攻に進み、放射線検出器のアナログ集積回路の製作技術をほぼ独学で身につけた。その腕を見込まれ、Kavli IPMUに所属する前は、武田さんに誘われ、沖縄科学技術大学院大学の最先端医療機器開発ユニットにも加わっていた。

  • 織田 忠 氏
  • 梅田 泉 氏

 硬X線やガンマ線はカドテル検出器の中で電荷に変わるが、なるべくノイズの低い状態で、かつ高速に電気信号として読み出したい。検出器内のどの部分で、いつ、どのくらいのエネルギーの電荷が生まれたかを計算するには、何万個ものチャネルを独立して処理する回路が必要だ。織田さんはその専用のアナログ集積回路やシステム構築に取り組んでいる。

 研究チームには、長年核医学の分野で薬学研究に携わってきた梅田泉さんを含め、専門分野を異にする研究者8人と研究補助スタッフ2人、大学院生6人の計16人(2021年1月現在)が、大会議室を改造して作った部屋に集まって研究しているという。異分野の研究者同士のコミュニケーションに、齟齬は生まれないのだろうか。

アナログ集積回路に関する実験を行う織田氏。
(東京大学柏キャンパス内の高橋グループの実験室にて撮影)


 柳下さんによれば、当初は齟齬をしばしば感じたという。

「話が通じているつもりで話していても、実は全く通じていなかったことが後でわかるという経験を何度もしました。細胞という言葉から思い浮かべるイメージも全然違ったんです」(柳下さん)

 高橋教授も「マトリクスは、物理の世界では『行列』。でも生物学では普通、『細胞間質』の意味で使われています。同じ言葉が違う意味で使われるわけです。『定量』に対する考え方も、我々と医学分野の人たちではかなり違って最初は戸惑いました」と振り返る。

 しかし高橋教授は「密なコミュニケーションが取れることのメリットはとても大きい」と強調する。

「新たな分野について学ぶ時、一番ありがたいのは、素朴な質問に答えてくれる相手が近くにいることです。『アホな質問なんだけど、教えてください』と質問を投げると、本当にアホな質問でも笑わないで答えてくれる相手がいることです。柳下さんも、私がどんな質問をしても目線を合わせて応えてくれるので、とても感謝しています」(高橋教授)

談笑する柳下氏 (左) と武田氏 (右) 。
(写真はKavli IPMU ものしり新聞第9号より、
2019年11月撮影)

 異分野融合によるイノベーションのかけ声は日増しに高まり、あちこちで融合の試みがはじまっている。しかし、分野間の溝が埋められずに離れてしまったというケースをしばしば耳にする。素朴な質問に拒否反応を示さず、きちんと向き合う態度をチームメンバーの一人一人が身につけることは、融合の第一歩だ。

 武田さんは「異分野の人たちが一緒に手を動かす」ことが大事だという。

「一緒にモノを作ったり、解析したりして手を動かすと、どこに課題があるか見えてくるんです。異分野融合がトレンドになっていますが、実際に手を動かしているところは少ないんじゃないかと思います」(武田さん)

 柳下さんが強調するのは、「ビジョンの融合」だ。

「私が常識だと思っていることが、チームの他の人にとっては常識ではなかったという状態から、1年、2年かけて議論することで、ようやくビジョンを融合することができました。異分野の専門家がたまに集まって会議をするだけでビジョンが融合することは絶対にありません」(柳下さん)

 高橋教授らは、2019年7月、群馬大学重粒子線医学研究センターとの共同研究により、以前開発したコンプトンカメラを使って臨床試験を実施したと発表した。人の体内に取り込まれた2種類の放射性薬剤から放出されるガンマ線を、識別して可視化することに成功したのだ。幅広い範囲のエネルギーを持つガンマ線を同時に検出して画像化できる可能性を示す世界初の成果だった。

 放射性薬剤をプローブに生体内を可視化するなどして医療に応用する分野である核医学の中で、現在、最も普及しているのは、PET(陽電子放出断層撮影)検査だろう。だが、一般的なPET検査では、特定のエネルギーをもつガンマ線を出すプローブしか使えない。1つのエネルギー(すなわち1つの波長)しか使えないので、画像化した時に使える色も1種類だ。別のSPECT(単一光子放射断層撮影)検査などと組み合わせれば、別のエネルギーを持つX線やガンマ線からの情報も得られる。その分、病気の実態に深く迫れるわけだが、PETとSPECTでは測定原理が異なるので、同時に検査するわけにはいかない。

新しい検出器に合わせたプローブを開発中。左から梅田氏の実験サポートを行う永田氏、天﨑氏、濵根氏と梅田氏。
(国立がん研究センター柏キャンパス内の先端医療開発センターの実験室にて撮影)


 高橋教授らの開発した検出器なら、複数のエネルギーを発するガンマ線を同時に識別できる。多種多様な細胞の異常が関わるような病気の実態を、詳しく解明できる上、複数の検査を受けずに済むので、患者の負担も軽くなる。

 だが、柳下さんは「見るだけじゃ意味がない。重要なのは、画像を見ることで、治療行為の助けになるかどうか。見えているなら、治療したい」という。

 研究チームが狙っているのは、がん幹細胞だ。ハチに働きバチと、女王バチがいるように、がんにも、様々な役割を持つがん細胞を生み出す、特別な細胞があることが知られている。それががん細胞の中の女王バチ、それが、がん幹細胞である。がん細胞を手術でごっそり切除しても、あるいは抗がん剤で劇的に数を減らすことができても、がん幹細胞がわずかでも残っていれば、またがん細胞が増える。近年、これが再発と呼ばれる現象の実態であると考えられるようになっている。

 それなら、がん幹細胞に対して、薬を送りとどけ、きちんとがん幹細胞がそれを取り込むことを確認した上で、放射性薬剤で攻撃すればいい。そうすれば、様々な抗がん剤に抵抗性を示すがん幹細胞を排除できる。それが、研究チームの思い描く、がんを根本から治療する戦略だ。

高橋グループで開発中の、カドテル検出器を用いた高解像度の単一光子放射断層撮影(SPECT)装置。


 そのためには、普通のがん細胞とがん幹細胞を見分ける分解能を持った検出器が必要だ。さらに治療に使うためには、リアルタイムで画像化しなければならない。

「サンプルだったら、一晩かけて撮影して画像化すればいい。しかし、生きている動物や人にそんなことはできません。1時間が限界でしょう。1時間以内に精緻な治療に耐える画像がほしいんです」(柳下さん)

 研究チームは今、この目標に向けた装置、具体的には従来の10倍の分解能で、すなわち100マイクロメートルに迫る分解能で、生体の内部を可視化する装置を開発中だ。

「異分野の研究者が集まって一緒に研究するメリットは、適切なゴールを設定できる点です。柳下さんら医療側から要求される水準は高い。右から左へ、宇宙衛星プロジェクトで開発したものを持ってきてもだめです。宇宙衛星に搭載する装置に求められるのは、信頼性の高さ、言いかえると、壊れにくさです。なぜなら何か不具合が起きた時、地上なら修理したり、取り替えたりできますが、宇宙ではそういうわけにはいかないからです。ですから私たちはこれまで、とにかく壊れにくいものをと考えて研究開発をしてきました。今は地上で使う装置を作っているので、まず性能を高める工夫をして、それから故障しにくいものに仕上げていきます。研究開発の仕方は変わりますが、やりがいはあります。私たちがいいものを作れば、転移したがんやがん幹細胞を見つけられるかもしれない。みんなの役に立つものが本当にできるかもしれない。そのためには若い人たちの力が必要で、今度は彼らが新しい分野を切り拓いていく番です」(高橋教授)

 異分野融合による研究はまもなく花を咲かせるということだろうか。

「いやいや、まだ芽が出たばかりですよ。でも、芽生えるだけでも大変なんです。種を撒いても、芽が出るとは限りませんから。われわれが芽生えたのは、Kavli IPMUが水をくれているからだと思いますね。前機構長の村山(斉)さんや、現機構長の大栗(博司)さんが、われわれの試みを理解してくれるだけじゃなくて、面白がって協力してくれる。そうじゃないと、異分野の人を一つの研究チームでこんなに採用できませんから」(同)

Kavli IPMU棟の屋上で撮影した高橋グループのスタッフ集合写真。前列左から梅田氏、桂川氏、武田氏、高橋氏。後列左から織田氏、柳下氏。
高橋氏の向かって右奥背後には、国立がん研究センター柏キャンパスの東病院及び関連施設が見えている。
Kavli IPMUの所在する東京大学柏キャンパスと国立がん研究センター柏キャンパスの距離の近さが見てとれる。


 村山斉・前機構長は、文部科学省にIPMUの設立を提案する文書の中で次のように記している。

「本拠点の研究で得られた手法やテクノロジーは間接的に社会に役立っていくに違いないと考えている。(略)将来の大規模な天文観測に必要なマルチファイバーのテクノロジーは診察やレーザー医療等の医学分野で役立つ可能性がある」(カリフォルニア大学バークレー校教授・村山斉「数物連携宇宙研究機構 拠点長候補ビジョン」平成19年5月25日)

 宇宙衛星プロジェクトで培った知見、技術を、医療へ応用する研究が、Kavli IPMUで行われているのは、何ら不思議なことではないわけだ。

「Kavli IPMUには、平日午後3時から3時半まで『ティータイム』と称して、所属する研究者が集まる場が設けられています。様々な研究をしている研究者が雑談をしたり、お互いの研究内容を語り合ったり、新しいアイデアを見出す貴重な機会です。今はコロナ禍で、なかなか開催できないのが残念ですが、再開されれば、柳下さんら医学分野の人たちが、Kavli IPMUにきっと新しい刺激を与えてくれると思います。たとえば、素粒子も、天文も、そして医学も、ビッグデータを扱います。そこには共通の問題がある。これを解くような新たな技法が生まれてくることを期待しています」(高橋教授)

【取材・文:緑 慎也、写真提供:Kavli IPMU (ものしり新聞9号の写真は大野真人氏撮影)】


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