数学と材料科学の幸せな共創研究 成功の秘訣は「キャッチボール」にあり(AIMR前編)
西浦廉政氏(左)と藪浩氏。(AIMR提供、以下同)
西浦 廉政(にしうら・やすまさ)東北大学材料科学高等研究所 研究顧問。1950年生まれ。理学博士。広島大学教授、北海道大学電子科学研究所所長など経て2012年より東北大学原子分子材料科学高等研究機構(現AIMR)教授・同主任研究者、2017年より現職。科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」研究総括、産総研・東北大 数理先端材料モデリングオープンイノベーションラボラトリ(MathAM-OIL) 研究支援アドバイザー(招へい型)を併任。2002年日本数学会賞秋季賞、2012年文部科学大臣表彰科学技術賞など受賞多数。
藪 浩(やぶ・ひろし)東北大学材料科学高等研究所ジュニア主任研究者(准教授)。1977年生まれ。理学博士。北海道大学電子科学研究所助手、JST戦略的創造研究推進事業「ナノシステムと機能創発」領域さきがけ研究者(2008-2012年)、「分子技術と新機能創出」領域さきがけ研究者(2012-2016年)、東北大学多元物質科学研究所准教授等を経て、2016年より現職。2020年東北大学ディスティングイッシュトリサーチャー。東北大学発ベンチャーAZUL Energy株式会社の取締役・CSO(最高科学責任者)。2011年日本化学会 進歩賞、2014年科学技術分野の文部科学大臣表彰 若手科学者賞、2016年市村学術賞貢献賞など受賞多数。
“3つの顔”を持つ「アシュラ粒子」
「あえて不安定な状況から物事を見るのです」
応用数理を専門とするAIMR研究顧問、西浦廉政氏の言葉だ。
ここ最近の不安定な状況といえば、コロナ禍だろう。特に窮地に追い込まれたのが2020年の春、一度目の緊急事態宣言のときだ。突然の休校措置に、慣れない在宅勤務。仕事の顔と、親の顔を同時に求められ、困難を抱えた人も多かっただろう。
……と、これは人間社会の話だが、材料科学の世界では2019年に驚くべき研究成果が報告された※1,2,3。なんと“3つの顔”を持ち、異なる物性を一つの微粒子で実現する「アシュラ粒子」が誕生したのだ。この微粒子の作製に世界で初めて成功したのはAIMR藪浩准教授(ジュニアPI)と西浦廉政研究顧問、旭川医科大学 寺本敬准教授らのグループだ。
アシュラ粒子は、阿修羅像にちなんだその名の通り、特性の異なる3種類の高分子が微粒子の表面を3分の1ずつ均等に占める。しかもその粒子はナノサイズで、ウイルスほど小さい(図1)。一体どのようにして、このような微粒子を作ることができたのか。そもそも、なぜ藪氏は“複数の顔”を持つ微粒子を作りたかったのか。
図1. 独自の微粒子作製法により形成された「アシュラ粒子」。非導電体である有機高分子は透過型電子顕微鏡(TEM)で直接観察できないため、金属を含有している、あるいは金属化合物で染色できる高分子と、できない高分子を組み合わせることで、内部の相分離構造を観察(左、TEM)。三次元電子顕微鏡トモグラフィーでは、透過型電子顕微鏡のサンプルステージを傾斜させ、さまざまな角度でサンプルの像を撮影(中央、ET)。コンピュータ上で再構成することで三次元的な構造を得ている(右、Simulation)。藪氏・西浦氏らの論文(参考文献※1)より。
高分子微粒子の「構造が生み出す機能」
藪氏は、生物の構造や特徴を模倣する「バイオミメティクス」のアプローチで、ムール貝の接着分子を模した接着高分子、昆虫の翅を模した着色材料など、さまざまな材料を開発してきた。2017年には、ウイルスのように表面に微細な突起構造をもつ高分子微粒子の作製を報告している※4。
なかでも高分子微粒子の研究を進める上で大きな礎となったのが、2005年に藪氏が確立した「自己組織化析出法」だ※5。この方法は、溶媒の蒸発によって高分子材料が自発的に微粒子を形成する現象を利用している(図2)。従来の高分子微粒子の作製法に比べると、とても簡便で、異なる高分子材料のブレンドにより、従来は難しかった微粒子の表面形状や内部構造の作りこみ(制御)が可能となった。
図2. 自己組織化析出(Self-Organized Precipitation, SORP)法。高分子不溶性の品溶媒に可溶性の良溶媒を加え、良溶媒を蒸発除去することで、相分離を利用して高分子微粒子を得る。プレスリリース(参考文献※2)より。
この自己組織化析出法では、A・B半分ずつ“2つの顔”を持った「ヤヌス粒子」を作製できる(ヤヌスはローマ神話の双面神)。AとBの量比を変えれば、内部に形成される構造も変化する。また、1つの粒子中で核(コア)と殻(シェル)の素材が異なる「コアシェル型」微粒子の作製も可能だ。
高分子微粒子に“2つの顔”を持たせるなど、その構造を制御することは、産業応用においても重要だ。例えば光の反射を制御することで、化粧品などに利用されたり、電子・光学材料として液晶ディスプレイなどで使われたりしている。
「2つの面を持つヤヌス粒子などは、電場や磁場で回転させることでコントラストを変えられるので、電子ペーパーの色材としても有用です。また、微粒子の表面に抗体をつけて、病気のマーカー(抗原)が特異的に結合することを利用した免疫学的検査・診断用の担体もあります。どのような用途でも、その機能を十分に発揮させるには、微粒子の構造を精密に制御する必要があります」(藪氏)
そこで、藪氏は自己組織化析出法を確立してからも、2種類の材料の組み合わせなど、さまざまな条件を試していった。すると 実験ではわからないことも次第に浮上してきた。
「どんな微粒子ができるのか、経験的に予想できるようになったのですが、時に予想に反した構造になることもありました。例えば、異なる高分子が結合したブロック共重合体で、ある程度まとまった量があると(バルクでは)異なる高分子が交互に積層するラメラ構造ができます。しかし、そのような材料でも、微粒子のサイズを小さくしていくと、全く異なる構造になってしまいました」(藪氏)
転機となったAIMRへの移籍
「現象の裏にある理屈が知りたい!」
藪氏の中でその思いが膨らんでいった頃に転機が訪れた。2016年に移籍したAIMRの環境が大きな追い風になったのだ。
AIMRは2007年に文部科学省プロジェクトであるWPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)のもと東北大学に設立。2011年に「材料科学全般に数学を導入する」という方針を打ち出してからは、研究所一丸となって材料科学と数学の融合研究を推進している。
そして西浦氏がAIMRに所属したのも、AIMRが数学との連携に大きく舵を切った直後、2012年のことだった。藪氏は当時をこう振り返る。
「実はそれ以前にも西浦先生とは面識があったのですが、共同研究する日が訪れるとは思ってもみませんでした。ちょうど実験データが蓄積してきたタイミングで、異分野の研究者が集うAIMRのアンダーワンルーフの環境に身を置けたこと、何より“数学と一緒にやろう”という機運に背中を押されました」
WPI研究拠点の特徴の一つに、分野の壁を排除したアンダーワンルーフの研究棟の建設が挙げられる。ひとつ屋根の下、異分野の研究者が集うオープンオフィスとして機能している(AIMR所内の様子はこちらの動画でご覧いただけます)。
さらにAIMRには融合研究を促進するソフト面での施策もある。その一つが、毎年AIMR研究者が所内における融合研究プロジェクトを申請し、審査を経て採択された研究提案には初年度の経費を配分する「Fusion Research Proposal」という制度だ。2009年に始まって以来、2020年度までに207件が採択されている(平均で年間10~20件)。まさにボトムアップ型研究の源泉と言えるだろう。藪氏と西浦氏の共同研究も2016年の採択を機に、本格的に始動した。
数理モデルの構築に不可欠なこと
では、実際どのように数学とのコラボレーションは進められたのか。西浦氏は「数学の“まな板”にのせるまで」がまず大変なのだと言う。
「現象や実験データを数学の土俵にのせるまで、つまり、どこが数学にできるのか、さらにそこから数理モデルをどう構築するのかが最初の難関です。今回であれば、高分子微粒子の構造予測のために、高分子を構成する全原子についてシミュレーションすることも考えられます。しかし一つひとつの原子・分子の位置を厳密に求めるのは最新の計算機をもってしても気の遠くなる計算量です。そこでもう少しマクロな視点で現象を捉える。そうすると、複数の要素が複雑に絡み合う現象の中でどこに焦点を当てるのかという、選択の問題が出てくるのです」と西浦氏。
ここでいう“マクロ”とは、高分子の反応系全体を指す。例えば「高分子A」と「高分子B」が「溶媒C」の中で反応する系がある。そのときAとBの種類や組み合わせによって、各々の分子はどの辺に集まりやすくなるのか。あるいは溶媒Cを増減したときの影響は。さらに、この反応系が時間・空間スケールと共に、どのように変化していくか──といった具合だ。モデル化の基本的な考え方については、西浦氏がユニークな例を出してくれた。
「例えば、アメリカ共和党の支持者をAグループ、民主党の支持者をBとします。さらに彼らを取り囲む環境としてロシアというCの存在がある。AとBは互いに反発しますが、ある範囲内では距離を保ってお互い居心地の良い場所にいる。ところがCが近づいてくると、Cから遠ざかる、あるいは自ら近づく、という動きも出てくる。こうした関係性を理解した上で、各々の動きを予測するのです」
今の話は比ゆとして人間社会に置き換えているが、実際に、合意形成のモデルなど、社会学の分野で数理モデルが用いられることは珍しくない。
「アイデアとしてはこのくらい単純化できるからこそ、高分子から社会現象まで適用できるのが数理モデルの強みです。一方で、時空間のどのスケールの舞台で考えるのかにより、役者が異なってきます。扱う問題・事象ごとに詳細な条件設定を加えていく必要があり、そのチューニングでは藪先生のような実験系の方たちと一緒に試行錯誤を繰り返していくのです」
西浦氏が“チューニング”と話すのは「逆問題」、つまり数理モデルのパラメータ(変数)を最適化する過程(パラメータサーチ)のこと。高分子A、B、溶媒Cという一見シンプルな関係においても、各因子の親水性や疎水性、表面張力といった特性、濃度の比率、反応温度など、さまざまなパラメータが考えられる。ここがマクロな現象論モデルを採用した時の困難なところで、その中から本質的に重要なものと、そうでないものを見極めるには、実験系研究者との協同が欠かせない。
実際、藪氏と西浦氏は、日常的なやり取りを綿密に続けてきた。メールで互いの進捗を共有し、検討を要するテーマが出れば、適宜、藪氏が西浦氏のいる数学連携グループに足を運ぶ。黒板の前で半日以上もディスカッションする。その場には、双方の学生や研究員も同席し、立場や分野の違いを越えて意見を交わす。
こうした研究者間のフラットな関係性も、紙とペンで勝負する数学のカルチャーと呼ぶことができる。実験系の研究は設備が整わないとできないことも多く、若手のうちは大きなラボで修業を積むのが普通だ。良くも悪くも師弟関係が生じるが、数学との連携でAIMR全体の風通しも良くなってきているという。
板書の前でディスカッションを繰り広げる藪氏(左)と西浦氏。
実験と理論 正反対だからこそ最強のコラボ
さて、こうして磨き上げられた数理モデルから導かれたこととは。
コラボレーション以前の藪氏は、バルク規模で反応した際の構造と、微粒子にした際の構造の違いに疑問を抱いていた。これについては、粒子サイズだけでなく、各高分子の混ざり合う度合いや、溶媒との相互作用など、西浦氏との議論の中でいくつかのパラメータを抽出し、モデル化することで、何が影響しているのか見極められるようになってきたという。
前述の通り“2つの顔”の「ヤヌス」はすでに出来ていたわけだが、「2種類だけでも膨大な組み合わせがあり、3種類のブレンドに実験だけで挑むのは難しかっただろう」と藪氏は話す。
例えば、シミュレーションからは「3種類の材料のうち、1つでも溶媒に対して親和性があると、全体の構造に影響を及ぼす」ことが示され、それを実験で確かめると、親和性の高い1つが表面に現れ、残り2つは中心で相分離することが確認されたという(図3)。
図3. 透過型電子顕微鏡像(a)および、電子顕微鏡トモグラフィーによる表面透過像(b)と断面像(c)。(b)(c)ともに外周を覆う橙色が溶媒に親和性の高い高分子の領域。藪氏・西浦氏らの論文(参考文献※1)より。
こうしたシミュレーションと実証の行き来から、生み出されたのが「アシュラ粒子」だ。違う組み合わせを持った3パターンのヤヌス粒子を掛け合わせたとき、3種類の高分子の表面張力が同程度になるとアシュラ粒子になる(図4)。
図4. 2種間でヤヌス粒子を形成する高分子の組み合わせとそれらを用いた3種ブレンド微粒子(アシュラ粒子)のTEM像。ポリイソプレン(PI)は四酸化オスミウムで染色されるため、最も濃いコントラストで観察され、次いで鉄を含有するポリフェロセニルシラン(PFeS)、PSの順に薄くなる。プレスリリース(参考文献※2)より。
このアシュラ粒子を導いた今回の数理モデルは、Cahn-Hilliard方程式という式を4本用いている。そのうち3本はアシュラ粒子を構成する各高分子(ホモポリマー)の振る舞いを決める式で、3成分が分離し、それぞれの領域を形成する相分離プロセスを表現している。
これらと、微粒子の形を決める方程式を組み合わせた計4本で「微粒子と分散媒体」(先の例ではA, Bから成る微粒子と溶媒Cの関係)と、「微粒子内の高分子同士の相分離」(微粒子内部のA, Bの関係)を同時に計算している。このことからCoupled Cahn-Hilliard方程式(CCH方程式)と呼ばれる。
そしてCCH方程式系に基づく数理モデルのパラメータを最適化した結果、実験結果の再現・予測が可能となり、アシュラ粒子の誕生につながったのだ。
図5. CCH方程式系に基づくシミュレーションで得られたアシュラ構造のモデル図。左のグラフ(縦軸:エネルギー値、横軸:時間)は、エネルギーがある一定の値に収束することにより、反応系が安定な状態に到達したことを示している。右図はアシュラ粒子を多角的に眺めた様子。藪氏・西浦氏らの論文(参考文献※1)より。
数学の力を実感した藪氏は次のように語る。
「もともと、現象を理解することを目的に始まったコラボレーションですが、理屈を後追いするだけでなく、理論の方から先に新たな可能性が示されるようになったことは、非常に新鮮でした。西浦先生とのディスカッションで実験の道筋が照らされていく感覚です。
モデル上では実験では難しいパラメータ(通常の設備では困難な高温・高圧条件など)も検討できるので『こんな構造もあり得る』という数理からの予言が得られるのです。『こんな粒子をつくりたい』という出発点だけでなく、『こんな粒子がつくれるかも』と実験の延長線上にないアプローチも生まれています。今なお、楽しみが尽きません」と声を弾ませる。
すでに、アシュラ粒子以外にもシミュレーションをもとに新たな構造の微粒子が作製されている。なんと、シミュレーションでは立方体に近い構造も予測され、実験で条件を探してみると、サイコロのような立方体、四面体の粒子ができることがわかってきたという。まだまだ可能性は広がっている。
西浦氏は数理科学の醍醐味をこう語った。
「実験的に観測できない可能性が高い条件、すなわち極めて“不安定な状態”こそ、そこに(何らかのパラメータが動いて)わずかな摂動が加わるとダイナミックな変化が生じやすい。最も不安定なところを突き詰めるのは、理論にしかできないことです。現象として見えるものだけで判断するのではなく、見えていないところに隠された重要なファクターを探る。そのコア隠れた種(組織中心)が掴めると、芋づる式に既知の現象理解や、さらには予測が可能となるのです」
再現性を重視する実験系においては(人間の心理もまた)不安定な状況は決して好ましいとは言えない。だが、そこから一歩抜け出すことでパラダイムシフトが起こるのかもしれない。
数理モデルには、なかなかとっつきにくい印象があるが、それを真に機能させるには、正反対のアプローチをもつ実験屋と数学屋、人と人とのキャッチボールが欠かせなかった。どんなに優れた知識や技術があっても、双方の心に火を灯し続けなければ、結実しなかったことだろう。
今回の共同研究で西浦氏が「ピピっときた!」と語るモチベーションの原点は、続く後編で紹介することにして、本記事はここまでに。後編では、異分野・異業種コラボレーションを持続的に発展させる秘訣をさらに掘り下げていく。お楽しみに!
《参考文献》
※1 Yutaro Hirai, Edgar Avalos, Takashi Teramoto, Yasumasa Nishiura, and Hiroshi Yabu: “Ashura Particles: Experimental and Theoretical Approaches for Creating Phase-Separated Structures of Ternary Blended Polymers in Three-Dimensionally Confined Spaces“, ACS Omega, 2019, 4(8), 13106-13113, DOI: 10.1021/acsomega.9b00991
※2 プレスリリース「3つの異なる顔を持つアシュラ粒子の作製に成功!」
https://www.wpi-aimr.tohoku.ac.jp/jp/news/press/2019/20190806_001153.html
※3 Yasumasa Nishiura: “Mathematics of the commons“, Science Impact Ltd, Volume 2020, Number 4, October 2020, pp. 9-11(3), DOI: https://doi.org/10.21820/23987073.2020.4.9
※4 Y. Hirai, T. Wakiya, H. Yabu: “Virus-Like Particles Composed of Sphere-Forming Polystyrene-block-Poly(t-butyl acrylate) (PS-b-PtBA) and Control of Surface Morphology by Homopolymer Blending”, Polymer Chemistry 2019, 8(11), 1754-1759.
https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/2017/py/c7py00013h#!divAbstract
※5 「自己組織化による高分子ナノ微粒子の作製」表面科学 vol.28, No.5, 277-282, 2007
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsssj/28/5/28_5_277/_pdf/-char/ja
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2023年3月30日