世界トップレベルの研究者をひきつける―国際交流係・研究支援チームの役割―(下)
東京大学 カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)
優秀な研究者を集めることは、WPI拠点機関の最重要課題の一つである。だが、世界中の研究所が欲しがる人材を採用するのは容易なことではない。そんな中、WPI-Kavli IPMU(東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構)は、著名な研究者や将来有望な若手を次々と獲得して注目を集めている。同事務部門の田村利恵子さんによれば、「複数の研究所からオファーを受けて、その中からわざわざ Kavli IPMU を選んでくれた研究者が多い」という。
Kavli IPMUは2007年の発足以来、数学、物理学、天文学の分野で画期的な成果を立てつづけに生みだしてきた。だが、他の魅力的なオファーを断ってKavli IPMUを選ぶ理由は、優れた研究成果の数だけではないらしい。
Kavli IPMU ティータイムの様子 (※新型コロナの影響により、現在はティータイムを中止している)
【 雇用者に丁寧に説明する 】
同じ海外研究者でも、Kavli IPMUから研究員として採用される「雇用者」と、研究セミナーや共同研究で一時的に同研究機関を利用する「訪問者」とでは大きな違いがある。最大の違いは、訪問者が旅費・滞在費・日当などはKavli IPMUから支払われるものの、報酬については別に得ているのに対して、雇用者は、Kavli IPMUから報酬を得る点だ。
そのため雇用者は、日本で税金や社会保険料を支払わなければならない。こうした行政手続きを含め、日本で研究し、暮らすのに必要な支援を行っているのが、前出の田村利恵子さんだ。
「雇用者には健康保険の他に、年金、労災保険、雇用保険といった社会保険に入っていただく必要があります。外国人研究者と東京大学との労使関係ができるので、東京大学は義務として彼らを社会保険に加入させます。」(田村さん)
田村さんが、IPMU(現Kavli IPMU)に加わったのは、2009年4月。IPMUがWPIに採択され、発足した2007年10月の1年半後だ。
「以前、外資系コンサルティング会社におり、外国人の採用関係の業務に携わっていました。大学に来て驚いたのは、外国人に対する税金や社会保険の手続きがまったく整備されていなかったことです。東大の本部の人たちに聞いても誰も教えてくれない。これではいけないと思って、海外から来た新規採用者に対するオリエンテーションをはじめました。当初、毎年15人ほどの新規採用者がいましたが、その大半は、新しく学位をもらったばかりで社会人経験のない人たちです。彼らに、日本の税金は国税と住民税に分かれていること、税務申告は『年末調整』として雇用主が代理で行うが、どの様な場合に確定申告が必要になるかなど基礎的なことから説明します。」
オリエンテーションは2時間ほどで、田村さんが雇用者に説明する。
「特に外国人にとってわかりにくいのは、他の国とは異なる日本の住民税の徴収のしくみなので、『最初のうちは住民税がなくて手取りが高そうに感じるかもしれないけど、約1年半後の6月から前年の収入に掛かる住民税が12分割で徴収され始めさらに任期を終える3年後に日本から離れる時には、未納分を一括徴収されるので、最後の給与の手取り額は一挙に減ってしまいます』といった話を3年分の支給・控除を一覧表にしたシミュレーションを使って説明します。年金の脱退一時金請求制度についても6カ月で一区切りである点を丁寧に説明します。というのも、次の就職先が決まって日本を離れるからといって、中途半端なところで年金の支払いを打ち切ってしまうと、せっかくの掛け金が返ってこない場合があるからです。どのタイミングでやめれば掛けた分を取りっぱぐれせず、年金一時金を請求できるか教えるから、必ず聞いてほしいといった話もします。また日本の老齢年金の受給資格を選択する場合に確認が必要な社会保障協定の話も行い、次の赴任国や自国と日本の間にある協定の内容次第で脱退一時金を受け取らず老齢年金として残すオプション、その場合の老齢年金額の概算も伝えます。」
新規採用者には、来日前に銀行印を用意してもらう。
「英語でもカタカナでもかまわないのでハンコを作ってもらっています。銀行の選択肢も示して、どこで口座を開くかも決めておいてもらいます。ここに到着したら、まず役所へ、次に銀行へ行くというルートができています。日本の口座と紐付いたクレジットカードも作ってもらいます。海外の口座と紐付いているクレジットカードも日本で使えますが、いろんな形で為替手数料がかかって、デメリットが多いからです。」
日本で車を運転したいという新規採用者には、スムーズに免許を取得する注意点も伝えている。
「ジュネーブ条約(道路交通に関する条約)に加盟している国であれば、自国で国際運転免許証を発行してもらえば、比較的簡単に日本でも車を運転できます。しかし、場合によっては日本で実技試験を受けてもらわないといけません。Kavli IPMUが研究所を置いている柏市で生活するだけなら、車がなくてもそれほど不便はありませんが、神岡(スーパーカミオカンデ等の実験施設のある岐阜県飛騨市神岡町)を利用する研究者にとって、車を運転できるかどうかは死活問題です。私たちは、合格した研究者に毎回モニタリングして注意点を把握して、それを次に試験を受ける新規採用者に伝えています。」
【 スタンダードを作る 】
外国籍雇用者が東大に提出しなければならない税務書類などの英語化も積極的に進めた。
「東大の本部は当初、日本語での書類しか認めないという立場でした。しかし、以前勤務していた外資系企業では、たとえば扶養控除等申告書、配偶者特別控除等申告書、保険料控除申告書など、外国人社員に提出してもらう税務書類は、英語の書式のものを使っていました。別に税務書類がどうしても日本語でなければならない決まりはありません。本部にその旨を説明して納得していただき、IPMU事務部門で英語書式を作ったんです。本郷税務署の確認も取れました。」
現在では、Kavli IPMU公式ホームページの「For Employees(職員のために)」に、各種の控除申告書や源泉徴収票、給与明細などの英訳もPDFで載せている。
「はじめはホームページにアップロードしていなかったのですが、問い合わせが多かったので載せることにしたんです。外国人研究者に『日本語で書かれて理解できない書類にサインしたくない』と言われた、Kavli IPMUでは英語書式の税務書類を使っていると聞いたが、どんな英語書式の書類なんですか、という問い合わせが、学内だけでなく学外からも寄せられました。」
「For Employees」には、「Before Coming to Japan(来日前に)」「Your First Day at Kavli IPMU(Kavli IPMUでの初日)」「Getting Married in Japan(日本での結婚)」「Having a Baby in Japan(日本での子育て)」「Moving(引っ越し)」「Leaving the Institute(退所)」など、日常生活の場面・状況に合わせた有用な情報がまとめられている。
2012年には、外国籍研究者のための安全教育ビデオを作成。その成果が評価されて、2013年度東京大学業務改革総長賞を受賞した。同賞は、その名の通り、業務改革に繋がるアイデアや実践例を表彰するもの。「英語版安全教育ビデオと確認テストのWeb配信による外国人研究員・学生への安全教育の徹底」(受賞名)は、事務職員の業務負担の軽減などの成果をあげた点が評価された。
「東日本大震災の後、英語で安全教育ビデオを作成しなければならないとの思いを強くしました。日本語の教職員向けの講習なら以前からありましたし、そもそも日本人は子供の頃からいろんな防災訓練を受けています。しかし、外国人が防災のノウハウを身につけているとは限りません。これは何とかしないといけないと思ったのです。日本人が黄色と黒の縞模様を見れば、ここは危険で、立ち入り禁止だとすぐにわかりますが、外国人には通用しません。そういうことを意識して作りました。」
東大本部が躊躇することであっても、Kavli IPMUが積極的に取り組んでいくことは、村山斉・初代機構長の意向だったという。 「すべきと思うことはどんどん進めていいというのが初代機構長の村山(斉)さんの意向でした。Kavli IPMUでうまくいけば、それがスタンダードになるから、と。実際、こちらの責任でやったことが、気がついたらいつのまにか本部にも導入された事例がたくさんあります。」
田村さんらKavli IPMU事務部門の職員は、業務改革の取り組みで他に何度も東京大学業務改革推進室から表彰されている。
- 2015年「UTokyo-atlas(東大教職員向けサイト)内において外国人が直接理解できる英文ページの作成」の成果により特別賞(東大本部国際企画課国際企画チームと共同受賞)
- 2016年「大学グローバル化へのWin-Win プロジェクト」(事務職員の英語能力向上とともに外国人研究者の日本語能力向上、日本文化に親しむ機会の提供)の成果により特別賞
- 2017年「ハラスメント防止教育の普及によるリスクマネジメント」の成果により総長賞受賞
- 2018年「スマホアプリ開発・リリースによる情報提供と研究環境のスマート化」(先に触れた、Kavli IPMUへの訪問者や新規採用者向けのアプリの開発)の成果により特別賞
Kavli IPMU スマホアプリのスクリーンショット。「スマホアプリ開発・リリースによる情報提供と研究環境のスマート化」により2018年度東京大学業務改革特別賞を受賞
こうした賞は、事務部門の人たちにとって大きな励みになると思われる。
【 「辞めた後も気を抜かない」 】
だが、田村さんが、外国人研究者の支援業務の中で最もやりがいを感じる瞬間は、Kavli IPMUから別の研究機関などに移った人から連絡をもらった時だという。
「うちでポスドクとして3年間過ごして退職した後も、所属先が変わったり、准教授、教授などのポジションを取って偉くなっても(笑)、連絡をくれます。結婚したり、子供が生まれたりすると写真を送ってきてくれる。そういう話を聞くのは嬉しいですね。退職した研究者と繋がりを持つきっかけの一つは、年金一時金です。一時金を受けとるまで、1年かかりますが、そのタイミングで、こちらで税務申告をサポートします。そうすると、非居住者として徴収された20%の税金のほとんどが返ってくる。だから、ここを辞めた人とも1年半はコンタクトをとる。その間に誰かにKavli IPMUはどうだったかと聞かれても『よかったよ』といってもらえるはずなんです。いい研究所だったと思われるためには、辞めた後も気を抜かない。それが大事ですね。」
Kavli IPMUにおける最先端の研究、魅力的なセミナーや研究集会の数々だけでなく、研究者が研究に専念できる環境を作り、さらに改善を重ねていることが、世界中から優秀な人材がここに集まる理由なのだろう。
【文:緑 慎也、写真提供:Kavli IPMU】