WPIの研究を支える人たちREADING

科学的アプローチで研究者を支援する(WPI-ASHBi)

仮説を立て、実験し、その結果に基づいて考察し、論理的に結論を導く。研究者はこれまでこの科学的手法を使い、自然界にひそむ数々の謎を解き明かしてきた。もし同じ手法を自然界ではなく、若手研究者の育成に適用するとどうなるだろうか。

「例えは悪いですが、若手研究者を被験者に見立てました。彼らの研究パフォーマンスを上げるため、如何にシステマティックなプログラムや支援体制を構築できるか。この問いに答えるためです」

そう語るのはWPI-ASHBi(ヒト生物学高等研究拠点)事務部門長の小川正さん。前職で京都大学の2つの次世代研究者育成事業「K-CONNEXプロジェクト(文部科学省による研究者育成事業)」「白眉プロジェクト(京都大学による研究者育成事業)」の各プログラムマネージャーを務め、育成プログラムの改良を続けた。

「若手研究者に成長機会を提供し、その中で彼らが積極的に利用し、且つ効果が高いプログラムを残すんです」
プログラムの効果と直接的に結びつけることはできないが、若手研究者の論文が有力な科学誌に掲載されたり、育成対象となった研究者の大半がテニュアポストを獲得したりなど一定の成果が得られた。そのノウハウを詰め込み、体系化して作られたのがWPI-ASHBiのResearch Acceleration Unit(RAU)だ。ただし、RAUがアクセラレート(加速)する対象は、若手だけでなく、WPI-ASHBi全体の研究者の研究活動である。

課題解決型の研究支援

RAUの研究支援の特徴は「課題解決型」である点だ。研究者は日々、様々な課題に直面する。たとえば、ある発生生物学者が、まだ日本で使用されたことのないヒトES細胞を海外から導入して実験に使いたいとする。しかしヒトES細胞には、オンラインショッピングサイトで購入ボタンをクリックして送付先を指定すればあとは何日か後に商品が届くのを待つだけといった便利なサービスは存在しない。まずどんな目的で使いたいのか、そもそも導入が可能なのか、などを文部科学省や関係機関に確認する必要がある。そこで問題なし、となれば、所属研究機関の倫理委員会に申請し、審査で許可を得る。その上で、文部科学省への届け出や、税関や検疫のための手続きなど、いくつもの事務的作業のハードルを乗り越えてはじめてヒトES細胞が研究室に届く。

「日本の大学では、様々な事務手続きが体系的に整備されていない状況が往々にしてあります。個々の手続きは秘書や事務の方が対応できても、全体の見通しが立たない状況では、研究者自らどんな手続きが必要か調べて、申請書の準備を進めなければならない。その分、本来研究に割くべき時間が研究以外の作業に取られてしまいます」

小川さん自身、かつて京都大学医学研究科で認知神経科学を専門とする准教授を務め、研究以外の作業に追われる日々を経験した。研究者が研究に専念できて、研究パフォーマンスを高める支援を享受できる環境を、研究者の目線で体系的に構築したいというのが大学のアドミニストレーション側に身を転じた理由の一つだという。

それではWPI-ASHBiにおいて、研究者に寄り添った研究支援の環境はどのように構築されているのか。

先に挙げたヒトES細胞輸入の事例は、WPI-ASHBiのPI(主任研究員)であるCantas Alevさんが2019年、RAUに持ち込んだ一件だ。Alevさんは当時、WPI-ASHBiに新しいPIとして採用されたばかりで、どのようにヒトES細胞を輸入すべきかわからず、日本語の書類を読みこなすことにも困難があった。

RAUでAlevさんに対応したのはURA(リサーチ・アドミニストレーター)の信田誠さんだ。信田さんは京都リサーチパーク株式会社で、新規事業やベンチャー企業の立ち上げを支援しており、プロジェクト立ち上げ時に生じる様々な問題の解決について豊富な経験を持つ。

「信田さんが解決策を見つけた後、実際の諸手続は共通秘書(複数の研究者の支援業務に従事するスタッフ)にやってもらいました。RAUのスタッフが担うのは、課題の解決策を提示してマニュアル化するところまでです」

解決策が一度明らかになった課題については、再び同じ課題が生じたとき、今度はわざわざRAUに問い合わせるまでもなく秘書レベルで処理できる。

専門知識を有し、解決策を事務的な処理レベルまでに落とし込むRAUと、その後の事務的な手続きを担うAMU(Administrative Management Unit)や共通秘書などの事務職員、両者がタッグを組んで研究支援の業務に当たることが重要だと小川さんは指摘する。

「RAUで事務的な手続き処理まで担うとRAUのリソースが足りなくなってしまいます。日本の多くの大学がURAを雇用していますが、一人一人は優秀でも、人数が少なく、また実際の事務作業も担ってしまっているためオーバーワーク気味です(研究者が研究以外の業務に時間をとられるのと似た状況)。専門職人材を有するRAUと、事務作業の実行役が一体化して研究者を支援するフレームワークを備えているところがWPI-ASHBiのユニークな点です」

RAUには信田さんを含め、4名のスタッフが在籍する。Spyros Goulasさんは、生物学分野のトップパブリッシャーである米Cell Press社の元編集者で、2022年にサイエンティフィック・アドバイザーとしてRAUに加わった。彼は、論文原稿の作成段階において研究者にアドバイスをしている。投稿前のカバーレターや本文に目を通し、論文全体の適切な構成や強調すべきポイントを指摘するのだ。

RAU構成メンバー。左から千綿さん、井上さん、小川さん、信田さん、Goulasさん

「元編集者の目で、いかにポテンシャルを引き出せるかという視点で論文を読んで手を入れます」(Goulasさん)

投稿先の雑誌の編集者は一般に、論文の形式や内容に関してさまざまな要望(「こんな実験を追加すべきだ」など)を著者に伝える。その中には著者にとって理不尽に思えるような要望もある。そんなケースにも、Goulasさんの力が発揮される。

「交渉できる場面で交渉せずに諦めるのはもったいないので、そういうケースはピックアップして、サポートに入ります。私が編集者と直接やりとりするのではなく、著者の研究者と相談しながら、どんな言葉で、どんな論理で交渉するかを一緒に考えるんです。『この論文は受けとらない』と編集者から一度は突きつけられた後にそれを覆して掲載に至ったこともありました」

Goulasさん自身、編集者になる前は研究者だった。研究者と編集者の両方の立場を理解できるからこそ、適切なタイミングで適切なサポートができるのだろう。

「いちばん大事なのはコミュニケーションです。編集者と著者の間のコミュニケーションの中で欠けているピースを探すのが自分の役割だと考えています」

同僚の井上寛美さんによれば、「彼がサポートした論文とそうでない論文はすぐに見分けが付く」という。

「彼が手を入れた論文は構造がしっかりして、論理の飛躍がないので、アブストラクト(要約)を読むだけで、その研究分野に詳しくなくてもある程度内容を理解できます」

その井上さんはRAUではリサーチコーディネーターとして、セミナーやイベントの企画・運営、ニュースリリースの作成などに携わる。以前はカリフォルニア大学サンフランシスコ校でラボマネージャーを務めた。ラボマネージャーとは、研究室の資金や機器の管理に責任を持ち、研究活動をサポートする「研究室の番頭」(小川さん)。日本の大学や研究機関にはほとんど導入されていないが、PIに次ぐ役職として欧米では定着している。経験の浅い若手PIの指導役も担う研究室運営のスペシャリストだ。

2020年11月にWPI-ASHBiに加わってまもなく、井上さんは生命科学分野向けのイラストツール「BioRender」を紹介するセミナーを企画した。

井上さんによるBioRender紹介のセミナー。

「美しく、質の高い図表やイラストを簡単に作れるWebツールで、プレゼン資料、ポスター、論文などによく使われています。アメリカの大学では学生たちがみんな使っていたのに帰国すると周囲の研究者は誰も使っていませんでした。プレゼンテーションソフトで丸や四角を組みあわせ、手間暇かけて、美しいとは言えない図表を作っていたんです。それでBioRenderを紹介するだけのセミナーを開いたのですが、大きな反響がありました」

他にも海外メディアに向けた研究成果の発信の仕方を紹介するセミナーを企画・運営したり、拠点内イベントで託児室を用意したりするなど、海外の事例を取り入れ好評を博したという。

もう一人のリサーチコーディネーター、千綿千恵子さんはエンターテイメント系の民間企業のマネジメント部門を経て、2023年7月にWPI-ASHBiにジョインした。井上さんと共にニュースリリースを作成するなど広報業務に携わる。

「ライフサイエンスについてはまだ勉強しなければいけないことが多いのですが、だからこそ一般の人と研究者を繋げる役割が果たせるんじゃないかと考えています。着任したての頃、研究内容をイメージして素材を組み合わせたイメージイラストを作成したのですが、研究者に気に入ってもらえて、別の機会にも使っていいかと言ってくれたのは嬉しかったですね。民間企業と大学との違いに戸惑うこともありますが、広報の大切さは同じです。より多くの方にWPI-ASHBiとその研究について知ってもらえたらと思っています」

研究の面白さ、楽しさを伝えるのに長けた研究者は日本には少ない。エンターテイメントの世界を知る千綿さんのノウハウが活きるだろう。

研究ストーリーの構築

RAUはWPI-ASHBiの研究者がどんな研究を行い、今どんな段階にあるのかを、ユニット内で常に情報を共有している。井上さんが語る。「Spyros(Goulas)さんは、各グループが研究発表するコロキウムにも顔を出して、各研究の進捗状況を細かく把握しています。それが彼の論文添削に活かされるのはもちろんですが、RAUでも情報共有されるので、私たちも論文が発表されるより前から広報の準備を開始できます」。インパクトのあるニュースリリースや、目を引くイラストの考案には時間がかかる。だが論文掲載が決まってから実際の発表までの時間は一般に短い。わずかな時間では広報のために打つべき手も限られるが、時間的余裕と研究内容への深い理解があれば、広報戦略も立てやすいはずだ。

RAUの各メンバーは、それぞれの専門性に応じてカバーレター・論文作成、グラント獲得、ニュースリリース作成などの研究支援を行っている。しかし決してバラバラに行動しているわけではなく、各自が意識しているキーワードがあるという。

「研究ストーリーです。論文なら読み手となるのは、著者と同じ研究領域のエディター・査読者・研究者、広報なら専門知識を持たない一般の市民・メディアの記者となります。読み手の性格は大きく異なりますが、いずれの場合でも研究の面白さを理解してもらう必要があり、それを伝える力が研究者に求められます。研究者の頭の中で骨格となる研究ストーリーが構築されていれば、伝える相手に応じて適切な文章を作成すれば良いことになります。RAUのメンバーは、論文原稿、グラント申請書、ニュースリリース原稿、いずれの作成支援においても研究ストーリーに立ち戻って支援することを念頭に置いています」(小川さん)

RAUにおける研究ストーリーの構築支援は、実は研究の計画段階からスタートする。その支援の対象は科研費などグラントの申請書。指南役は、先に紹介したURAの信田誠さんである。

申請書の添削や、審査員の前での面談に向けたプレゼン資料のブラッシュアップで信田さんが支援した研究計画が見事に大型予算を獲得し、そのお礼に研究者から個人的に高級ワインをプレゼントされたこともあったという。

「大型グラントの場合、申請書の審査員には自分の専門分野とは異なる分野の研究者も含まれます。自分の研究計画の意義を異分野の研究者に伝えるには、自分の専門分野だけでなく学術全体あるいは社会にどんな波及効果が期待されるのかを具体的に記述する必要がある。私自身は、個々の分野の詳細はわかりませんが、どんな手法で、何を実現したいのか、もし目的を達成すると何が可能になるのかといったストーリーが、異分野の人にとって伝わりやすいかどうかという観点からの指摘はできます」

何件もグラントの申請書の書き方を指南するうちに多くの研究者に共通する改善点が見えてくる。信田さんは2020年以降、毎年「KAKENHI WRITING SEMINAR: Telling your research story effectively」のようなセミナーを英語で実施し、申請書の書き方支援などで溜まったノウハウをWPI-ASHBi内外の若手研究者(特に海外出身者)に向けて発信してきた。同様に、Goulasさんは論文について、井上さんはニュースリリースについてセミナーを開いている。

「Goulasさんの論文執筆アドバイスのセミナーは非常に盛況でした。はじめはWPI-ASHBiの若手を集めたこぢんまりしたセミナーを予定していたのですが、コロナ禍でZoomのオンライン形式に切り替え、せっかくなので学外からの参加者も募ったところ何と2000人も集まった。海外研究機関から参加した研究者もいました」(小川さん)

RAUは課題を解決して終わりではなく、その解決策を整理して研究者あるいは事務組織に伝え、新たに生じる課題に注力し、その解決策をまた周囲に還元してゆく。この課題解決のシステム化が、研究を加速させるエンジンなのだ。

研究者からも信頼

カリフォルニア大学サンフランシスコ校でラボマネージャーを務めた井上さんによれば、アメリカの場合、グラント、広報などの各支援担当者は独立した部署を持ち、WPI-ASHBiのRAUのように一体化していないのが一般的だという。

「スタッフの数も多く、部署は分かれていても連携に問題はなさそうでした。部署ごとの役割分担が明確で、経験豊富なスタッフが多く在籍しているのも特徴です」(井上さん)

RAUは、アメリカの大学の同種の支援組織と比べれば、スタッフの人数は少ない。その不足を補うのが、RAUメンバー間の情報共有と、課題解決のシステム化エンジンと言えるだろう。

RAUの試みは、事務作業の軽減や研究力向上を望む日本の大学や研究機関にとって大きなヒントになるはずだ。

「一番の壁は、人材を集めることです。人数を揃えるだけなら簡単です。しかし、若手研究者を指導したり、ベテランPIを手厚くサポートしたりできる専門職人材をどう集めるか。海外では長年の積み重ねがあるため専門職人材のプールがありますが、日本では極めて少ない。極論すれば、日本と海外の研究環境の差はそこです。優秀な専門職人材を、その能力に見合った待遇をもって迎える必要があります」(小川さん)

例えば、論文原稿の作成段階において英語ネィティブ人材による英文校閲サポートは従来から国内の大学に存在していたが、Goulasさんのように元編集者の経験を活かして、論文原稿におけるストーリーや内容にまで踏み込んでアドバイスするようなサポートは国内の大学ではあまり例がなかった。論文執筆のように研究者にとって重要度の極めて高い仕事に対して、RAUの専門職人材によるサポートがどこまで浸透するか未知数であったが、Goulasさんが着任してから2年間、質の高いサポートを積み重ねることにより拠点研究者からの信頼を築き上げることができたという。

「今ではWPI-ASHBiのPIの9割が、論文投稿時にはカバーレターや原稿のチェックのためGoulasさんに声をかけてくれます。RAUから特に働きかけをしているわけではありません。研究者側から頼ってくれるのです」(小川さん)

ただし信頼を得るまでには時間がかかったと信田さんがふり返る。

「最初は研究者でもない私に何ができるのだろう、と思われていたと思います。しかし、私だけでなく、RAUで提供する様々な支援を受けてみて、実際に助かった!という経験が積み重なった結果、今では新しい研究者がWPI-ASHBiに入ると、古株の研究者が『困ったことがあれば、まずRAUに行きなさい』と勧めてくれるんです」

研究者を支援する科学的手法は、日本の研究力を浮上させる処方箋だ。


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