外国人研究者支援室は風に吹かれて

京都大学 高等研究院事務部 国際企画・広報掛 外国人研究者支援室 有本和美さん

 ある日、WPI-iCeMS(物質-細胞統合システム拠点。以下iCeMS)に所属する外国人研究者の一人が、血相を変えて事務室にやってきた。
 全身で怒りを表す研究者に、事務室に緊張が走る。
「どうしたの?」
 外国人研究者の支援業務に携わる有本和美さんは、恐る恐るその研究者に声をかけた。
 研究者の怒りは退院したばかりの病院に向けられていた。持病の発作により、救急車で病院に運ばれ、治療を受けた後、無事退院した。しかし、後日、病院から届いた請求書に、研究者は驚かされる。10万円以上の治療費を要求されたからだった。実は研究者が同じ症状で入退院したのはこれが2回目。1回目の請求額はごくわずかだった。
 同じ治療を受けたはずなのに、1回目と2回目で請求額に大きな差があるのはおかしい。1回目と同程度の請求額であるべきではないのか。研究者は日本語を少し解するものの、自分の考えを正確に伝えられるほどではない。そこで同じ研究室の日本人の友人に頼んで、病院に電話で問い合わせてもらった。しかし、病院側はまったく取り合わなかった。二進も三進もいかなくなり、研究者は有本さんのもとへ駆けつけたのである。

 事情を把握した有本さんは病院に電話をかけた。病院側の説明によれば、2回目の入院に10万円以上の費用がかかったのは、治療内容はほぼ同じだが、1回目の入院と異なり、2回目は個室に入ったからであるという。「医師が本人から同意を得ている」と病院の会計責任者は言った。しかし、痛みに堪え、日本語の正確な理解ができない状態の外国人患者から本当に同意を得たと言えるのか。「いったん受理した請求書を変更することはできない」と突き放す相手に、有本さんは「でもね」と食いさがり、近くで話を聞いていた研究者の主張も、適宜要約して伝えた。交渉は30分に及び、ついに会計責任者は「当日担当した医師に確認する」と譲歩した。
 後日、病院から電話があった。医師は感染の可能性があることから個室に入れる判断を下したが、患者本人の確認が取れたかどうかはわからないという。結局、個室費用の請求は取り下げられた。
 有本さんのモットーは「柳のような対応」だという。柳のように風を受け流し、折れることなく、根気強くトラブルに向き合い、解決に導くのだ。

 iCeMSが誕生したのは2007年、その事務部門の中には早くから外国人研究者支援室が設置された。数回にわたる事務組織の改編を経て、現在、外国人研究者支援室は、京都大学高等研究院の事務部内にあり、iCeMSだけでなく、2018年10月に採択されたWPI-ASHBi(ヒト生物学高等研究拠点)を合わせた2拠点と、大学内の一部部局の支援を行っている。
 有本さんは外部資金獲得を担う部署から人事異動で2011年に外国人研究者支援室に加わった。当時は2人体制で、その後、人数の増減があったが、2017年以降、有本さんが時に他スタッフの助けを得て同支援室を切り盛りする。
 その業務は多岐にわたる。
 海外からiCeMSへ赴任が決まると研究者にまずメールを送る。ビザ(査証)取得、旅費、租税条約、社会保障協定、給与共済などに関する情報を伝えるためだ。ビザ取得では、日本の出入国管理庁、在外公館それぞれに申請書を提出し、審査を受ける必要がある。審査には一定の時間がかかるので、雇用日までの残り日数を計算し、迅速に手続きを進めなければならない。海外から研究者を受け入れるiCeMS教員側に理解を求めなければならない事項もあり、根気強く説明しなければならないこともある。その他の手続きも不備を避けるため関係部署、教員とともに慎重に進められる。国籍、居住国、研究者の置かれた状況によって準備内容が異なり、一筋縄ではいかない。
 入国後は、外国人研究者が日本での生活に必要とするサポートを行う。
 苦労するのは銀行口座の開設だという。

「以前は、どの銀行でも、私が横で通訳を務めれば、外国人研究者が口座を開設することが簡単にできました。ところがこの(2019年の)春頃から状況が変わりました。大半の銀行で、口座を開設する本人が日本語で会話できないと、受付の座席に座らせてもくれなくなったのです。今では外国人が口座を開設できるのは一部に限られます。クレジットカードも研究者の国籍によっては取得が難しいケースもあります。比較的取得しやすいのは、大学生協とカード会社が提携して作ったTUOカードです」

 銀行口座開設の条件が厳格化する一方、賃貸物件の入居条件は近年、緩和しつつあるという。

「住宅探しは大切な支援業務の一つです。研究者にはまず、大学が用意している留学生・研究者対象の入居施設を案内し、入居申請を補助します。入居できるかどうかは抽選で決まるため、入居できない人もいます。その場合は、民間の賃貸物件を紹介します。最近の特徴は、連帯保証人なし、礼金なし、しかも英語対応可能な物件を扱う不動産エージェントが増えていることです。外国人研究者のみなさんにはそうしたエージェント情報を提供し、それぞれ自分で物件を見つけるか、求められれば私が物件の候補を挙げます。私がこの支援室に入ったばかりの頃は、英語対応可能な物件が少なく、私が仲介することもよくありました。マンスリーマンションに3、4週間入ってもらって、その間に長期契約できるアパートを探してもらったのです。当時、連帯保証人は日本人だけで外国人お断りの大家さんも多く、物件を見つけるのに苦労しました。しかし、昨今の民泊ブームが背景にあるのだと思いますが、外国人に対する京都の住宅事情は様変わりしたと感じています。過去には外国人研究者のためにiCeMSが保証人になるという制度を設けて手厚い支援をしてきましたが、こういった変化の中でこの制度もその役目を終えて2016年には廃止されました」

 研究者が子供連れなら、保育園、小学校などを案内し、保護者面談や家庭訪問に同席し、通訳を務めることもある。
 病院を紹介し、求められれば同行する。

「体調が悪いときは不安を感じるのでしょう。しばしば付き添いを希望されます。診療時に医師や看護師の言葉を通訳するのはもちろんですが、治療費の精算手続きや入退院システムについても、外国人にはわかりにくい場合があるので、きちんと説明します。通訳のとき困らないように内科、外科、耳鼻科などの診療科ごとに専門用語の日英対訳リストを作ってファイルにしていますが、実際の診療場面では、ファイルを開いて確認する余裕なんてありません。結局、普段から勉強するしかないですね。内視鏡検査に付き添ったこともあります。『チューブを飲んでください、リラックスしてください、つばを飲んでください』といった類の日常的な表現が主でしたので、通訳は難しくありませんでしたが、言葉のわからない状況で慣れない検査をする研究者のサポートにこちらも緊張しました。本人から症状を聞いて、診療で想定される用語についてはあらかじめ調べておくこともあります。幸いなことに、医療に関わるサポートで、これまでさほど難しいケースはなく、無事に済んでいますが、込み入った状況の場合には、ご本人のために、医療通訳のプロにお願いしなければならない状況も起こりえると考えています」

 iCeMSを離れ、帰国した研究者と連絡を取ることもある。問い合わせの中で多いのは、厚生年金保険の脱退一時金に関する内容だ。厚生年金を6カ月以上支払ってから出国した方は、支払った分の一部を、脱退一時金として日本年金機構に請求できる。ところが自分の手元にお金が還付されるまでに半年から1年も要するため心配して有本さんに問い合わせるのだ。過去には送金ミスで振り込まれていなかったケースもあったという。

 iCeMSの外国人研究者が生活に関する困りごとのすべてを有本さんのところに持ち込むわけではない。各人が所属する研究室の親しい同僚に助けを求めることも多い。研究室に入ったばかりで頼る当てを見つけられないとき、あるいは同僚には問題を解決できないとき、外国人研究者は有本さんに相談に来る。有本さんは外国人研究者にとって駆け込み寺のような存在なのだ。
「最初はいつどんな依頼が来るかわからず、すごく不安でした」とふり返る有本さんの頭の中には、数々のトラブルを当事者とともに解決してきたノウハウがたくさん蓄積されている。
 有本さんの8年間の経験知は、新しいWPI拠点や、国際的な研究環境の整備に取り組む機関に役立つはずだ。
 有本さんもそのことを意識して、業務の中で遭遇する事例を入力した一覧表を作製しているという。ただし、そうした情報を発信する作業にはなかなか手が回らないという。

「必要な情報をまとめて発信しようとしたことはあるのですが、住宅事情の緩和や銀行口座開設の厳格化のように、随時変化する状況を追跡して正確性を確保するのに大変な労力と時間を要します。そのため、情報発信を続けるための事務的業務よりも今はまず研究者対応を優先して時間を使うこととして、最新の情報を私の頭に常にストックしています」

 研究者に限らず、外国人が直面する生活上の問題は、時間的な変化だけでなく、地域的な違いもある。京都で当てはまる問題が、他の地域でも当てはまるとは限らない。とはいえ、普遍化できるノウハウも多いと思われる。
 現場で日々、多種多様な案件に携わる担当者の負荷を重くすることなく、その知見を共有する仕組みはできないものだろうか。
 風には凪もあれば突風もある。そよ風もあれば、嵐もある。さまざまな風に触れ、耐え、なお立っている柳から学ぶべきことはたくさんあるはずだ。外国人研究者が日本で安心して研究に打ち込める環境の土台作りのために、有本さんの知見を活用しない手はない。

【取材・文、写真撮影:緑慎也】

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