「膜」が世界を救う!植物の真似をして地球温暖化を逆転させる方法(下)
CO2回収技術変革への道(下)
好評シリーズ「WPI世界トップレベル研究拠点」潜入記第4回!
WPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)は、異なる研究分野間、言語と文化の垣根を超えて世界の英知が結集する、世界に開かれた国際研究拠点を日本につくることを目指して2007年、文部科学省が策定した研究拠点形成事業で、2019年現在、全国に13研究拠点が発足しています。
このたび潜入したのは九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所(以下、WPI-I²CNER。アイスナーと読みます)。CO2分離・転換研究部門の部門長・藤川茂紀教授に、驚くべき「膜」の話を聞きました!
【清水 修, ブルーバックス編集部】
究極の分離膜をお手本に
さあ、開発目標は決まった。ではどうやって開発するかですね。
「そう、どのようにして目標に近い膜を作るか。そもそも、気体が膜を透過する際には3つのステップがあります。
まず、『吸着』。CO2が膜に近づいていって引っ付くことですね。次に、『拡散』。膜の中をCO2が通っていくことです。最後に『脱着』。膜を通り抜けたCO2が外に出ることですね。
このステップを効率化するには、できるだけ膜を薄くして『拡散』の時間、つまり膜内部を通り抜ける時間を短くしてやる必要があります。膜を限りなく薄くしていくことが大切。ということで、いろいろと考えているうちに、この世界でもっとも性能の良い『究極の分離膜』に気づきました」
究極の分離膜?
「それは、細胞膜です。細胞膜は脂質という分子が層状になった構造です。この膜の厚さはわずか二分子ほどで、数ナノメートル(以下、nm)しかありません。これはDNA3本分くらいの厚みですから、非常に薄い膜であるということがわかるかと思います。
にもかかわらず、細胞内のものが外に漏れ出したり、逆に、外の物質が勝手に細胞内に侵入したりすることはありません。もちろん細胞が活動するためには、細胞膜を通じて、物質をやり取りする必要がありますが、これには特殊な「チャンネル」を使います。
細胞膜の模式図 Picture by gettyimages
たとえば細胞内外で水分子を出し入れしたい場合は、この薄い細胞膜に埋め込まれたアクアポリンというタンパク質を通じて、水だけが選択的に膜を透過します。われわれの世界では、膜を透過させるのにポンプなどを使って圧力をかけたりしますが、細胞膜の場合、このようなポンプに相当する仕組みはありません。
つまり余計な圧力をかけることなく自然に水を透過させている。しかも選択性がとてつもなく高い。すごく薄いのにすごくバリアしていて水だけを通す。外から支えているものもないので、自立性も高い」
しかし、細胞膜は欠点もある。細胞膜はとても脆いそうだ。すぐ壊れてしまう。だから、細胞膜そのものをCO2分離膜に使うのは無理。
であるならば、細胞膜を参考にして自分たちで「きわめて薄く、選択性が高く、自立性も高く、なおかつ壊れない膜」を作ればよいということになる。
「ぼくは以前から『膜』の研究をしてきました。ガラス基板の上に剥離層を塗ります。それをぺろっと剥がすと、けっこうタフな膜ができるのです。たとえば、酸化チタンで作った40nmの膜があります。あとは、これを改良して、薄くてガスが透過しやすい膜にしていけばいいわけです」
世界最薄! 30nmの膜を実現
「そうやっていろいろと試行錯誤を経てようやくできあがったのが、この膜です! 世界最薄。厚さ30nmの膜です」
藤川准教授はぼくらに、開発した分離膜を見せてくれた。
おお、すごい! 30nmなのにちゃんと膜が見えている。ちょっとシャボン玉の泡っぽいかんじで光っているのが美しい。
「これは多少弛ませているので目で見ることができます。ピンと張ったら、もうなかなか見えません(笑)」
世界最薄にして世界最高性能の自立ナノ膜。2気圧の加圧にも破れず、40000GPUの透過性を実現した。この透過性は世界的に見てもダントツである。選択性は11と低いが、さきほどの「透過性&選択性とコストのバランス」を考慮しての設定であろう。
「自立ナノ膜の作製に成功した」という藤川准教授の論文は、2019年9月、「The Chemical Society of Japan」オンライン速報版にて公開された。
「今後は、選択性を上げたものも作るなど、いろいろと改良していきたいと思っています。しかし、単に性能を上げていくだけでは研究として新しくない。おもしろくないですね。
そこで、原点に立ち返って『われわれ科学者が挑戦すべきことは何なのか』ということを考えはじめました。原点に立ち返るとは、CO2削減の現状を鑑みて、もっとも効果的な、インパクトの強い研究をするということです。
『ダイレクト・エア・キャプチャ(Direct Air Capture。以下、DAC)』という言葉をご存知ですか」
大気から直接、CO2を取り込む段階に
DAC(Direct Air Capture)とは、これまでのCO2削減の考え方であるカーボンニュートラル(CO2排出と回収を釣り合わせること)をさらに一歩進めて「大気中のCO2を直接回収する」という考え方、および技術のことである。
冒頭で記した通り、いま世界各国では、パリ協定で定められたCO2削減を実践しているわけだが、もはや、従来の削減プランだけでは目標達成は困難だと言われている。
カーボンニュートラルを実践していくだけではなく、いっそのこと、大気中からどんどんCO2を取り込んでいかなければ大気中のCO2総量を減らすことなど無理だ、という話になってきたわけだ。
2014年、日本主導で『世界エネルギー・環境イノベーションフォーラム(Innovation for Cool Earth Forum。以下、ICEF:アイセフ)』が発足した。このICEFは「技術イノベーションによって地球温暖化対策を推進していく」ということを目的に設立された会議で、毎年、開催されているのだが、2018年にはこの会議においてDACを進めていくためのロードマップが作成されている。
「現状では、米国のGlobal Thermostat社、カナダのCarbon Engineering社、スイスのClimeworks社の3社が先行して、すでにDACを開始しています。これらはいずれも、先ほど説明した方法A(溶液吸収)でDACをやっているのですが、見てください。砂漠などの広大な土地に巨大な施設を作ってやっているわけです」
「動画の中に4段に重なった丸いものが見えますね。これは巨大なファンなのです。大量の吸収液を霧状に噴射して、その横から大型ファンで風を当ててCO2を吸収させていくというやり方ですね。
つまり、この3社のやり方だと、大規模施設が必要で、溶液に使う大量の水が必要で、さらに稼働するためのエネルギーが必要になる。コストとしては1tあたり3万円くらい。こんなに大掛かりにしなきゃできないのですから、やっぱり前述の方法C(膜分離)を実現させたほうがより効率的なわけですね」
膜分離システムのフレキシビリティ
しかし、現在のところ、膜分離でDACを進めるプロジェクトは世界中いまだどこにも存在していない。なぜなら、従来の膜ではCO2が透過するために相当な加圧をしなければならなかったからである。
このためには、分離するガス中のCO2濃度が高いほうが有利であり、空気中のCO2濃度は低すぎて、分離が不可能と思われていた。
しかし、藤川准教授が作成した自立ナノ膜は従来のものとは違う。1気圧の「CO2がわずか0.1%しか含まれていない窒素ガス」を分離膜に流してやると、CO2の半分を捕えられる。これは従来のCO2膜分離の常識を覆す大きな成果である。
つまり、膜を薄くしていけば、いままでは無理だと思っていたことができるようになるということだ。
「すでに始まっているDACのプロジェクトはいずれも大規模な溶液吸収装置であると言いましたが、膜を使えば、あんなに大規模な設備はいらないのです。
小さい膜をたくさん作って、エアコンの室外機のようにそれぞれの家庭に設置すればよいのです。それなら、狭い日本でも、CO2回収装置をたくさん作ることができますよね。
Photo by gettyimages
これに似たシステムが、太陽光パネルです。太陽光パネルは、場所に応じて大きくも小さくもできます。これと同じように、CO2分離膜も、大規模でできるところは大規模に、家庭用ならば家庭向けに、と必要に応じてサイズを調整できます。このフレキシビリティは、あちこちでCO2回収を進めるうえで重要になってきます」
なるほど。膜を使えば、かなり自由に装置を設計できる。それならどこでも実現できそうだ。にわかにリアリティが出てきたではないか。
植物を手本にする、夢のCO2回収システム
「世界的な傾向として『膜によるCO2回収はかなり突飛な発想だ』と思われている節があります。でもね、膜を使うことは突飛ではないのですよ。なぜなら、身近に実例があるからです。
それは何かというと……植物です。細胞膜を手本にナノ膜を作ったさきほどの話と同様にバイオミメティクス(Biomimetics:生物模倣技術)の発想で、植物を手本にシステムを創り出していけば良いと思うのです。
植物はポンプも何も使わずに、葉っぱを通じて空気中から自然にCO2を吸収しますよね。原理はあれと同じです。したがって、膜を使ってCO2を大気中から回収するシステムは実現可能だと思っています。
さらに、植物というのは炭素源を大気中のCO2から獲得しています。なんとなく根っこから吸い上げているようなイメージがありますが、大気から取り入れている。
つまり、植物のように大気からCO2を回収して、それを炭素資源として転化(コンバージョン)する技術を持てば、エネルギーを生産できることになります。
そしてもうひとつ。植物は回収したCO2と水で光合成をしてショ糖やデンプンを作ります。同様の転化技術を開発すれば、回収したCO2を使って、ある種の食料さえ生産できるようになる。それらがすべて実現した世界を想像してみてください」
たしかに、実現できたらすごい話だ! CO2を無理なく低コストで回収し、捕まえたCO2からエネルギーを生み出し、食料さえも作れるとなれば、地球温暖化問題を解決できるばかりでなく、資源の取り合いに端を発する戦争なんてなくなってしまうはずだ。
膜は世界を救う
もちろん、これらの話は、現段階で夢物語ではある。が、もし将来、それらがひとつずつ実現していったならば、世界の様相はがらりと変わることだろう。
「そうなのです。そんな夢物語も、すべて『膜』から始まるのですよ」
まさに……膜は世界を救う。
近い将来、それが実現されることを信じて、先端エネルギー科学者はどこまでも膜分離社会実装への道を歩み続けていくことだろう。
(2019年9月18日。九州大学藤川研究室にて)
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2021年2月18日