WPIで生まれた研究READING

多孔性材料に『夢と希望』を詰め、放出する―新生iCeMSの融合研究―(下)

 2017年、新たな仲間が加わる。同年1月にPI(教授)としてiCeMSに加わった鈴木淳さんだ。鈴木さんの専門は細胞生物学で、特に細胞死(アポトーシス)の研究で知られている。

 細胞が死ぬと、「私を食べて」というシグナルとしてホスファチジルセリン(PS)と呼ばれるタンパク質を細胞表面に露出する。それを目印に生体のお掃除屋さんであるマクロファージが寄ってきて、その細胞を貪食する。鈴木さんはPSが細胞表面に現れる仕組みを調べる過程で、血液が凝固する時にPSを細胞表面に露出するTMEM16Fや、細胞が死んだ時にPSを露出するXkr8などの膜タンパク質の遺伝子を、それぞれ2010年、2013年に同定した。今も細胞死の謎の解明や、膜タンパク質の関わる病気の研究に取り組んでいる。

鈴木淳さん

 鈴木さんによれば、リトリート合宿だけでなく、オンサイトラボ(On-site Laboratory)の視察や海外シンポジウムへの参加も、研究者同士のコミュニケーションを深める上で、重要な役割を果たしているという(オンサイトラボとは、京都大学が海外の大学や研究機関などと共同で現地に設置する研究室)。

「iCeMSに入って最初の仕事が、インドのバンガロールで開催されたiCeMSとバンガロール生命科学クラスター(BLiSc)の共同のシンポジウムへの参加でした。インドの混沌とした環境の中で、常に食中毒の恐怖を共に経験したおかげか、同行したメンバーと絆を深めることができました。その中に古川さんや亀井さんもいたんです」(鈴木さん)

——インドではお互いの研究の話もされた?

「もちろんです(笑)。三車線の道路を六列で車が走っているような街で、『大丈夫かな』という状況なので、あまり外に出歩けないから同行者と話し合う時間が増えるので、それぞれの研究の話もします。リトリート合宿や、オンサイトラボの立ち上げの現地訪問などでは特にメンバー間の結束力が高まりますね」(同)

 心理学では、恐怖体験を共有した相手に特別な意識を向ける(場合によっては恋心を抱く)傾向として「吊り橋効果」が知られているが、同じような効果が海外出張でも得られるということなのだろう。

「同じ建物にいることも大事ですね。亀井さんはiCeMS本館にラボがあって少し離れているので会う頻度が少ないのですが(亀井さん「さみしいです(笑)」)、古川さんと僕は同じiCeMS研究棟にラボがあるので、コロナ禍のために最近こそあまりありませんが、以前はよく一緒にお昼ご飯を食べに行っていました」(同)

 日常的に顔を合わせる機会が多ければ、お互いの研究についてたっぷり話ができる。しかし古川さんも、亀井さんも、鈴木さんもそれぞれ異なる分野で、専門性の高い研究を行っている。お互いの研究を理解するだけでも大変そうだ。古川さんは2017年にPIとなり、無数の孔を持ちながらもゲルのように柔らかい多孔性材料や3Dプリンタによる多孔性材料などの開発に取り組んでいる。亀井さんも2018年にPIとなり、複数の組織細胞を血管を模した管でつなぎ、一つのチップ状で培養しながら組織間の相互作用を調べる、「ボディ・オン・チップ」(体の働きを再現するチップ)の開発を進めている。

ボディ・オン・チップ

ボディ・オン・チップの模式図:iPS細胞由来のミニ組織と血管網を模したマイクロ流路を搭載することによって、人体の生理・病理現象を再現することができる。

 異分野の研究の理解にどれくらいかかるものなのか。古川さんは「鈴木さんの研究を理解するのに2年はかかった」という。

「鈴木さんのことをはじめはただのおしゃべりなおじさんとしか思っていませんでした(鈴木さん「おじさんって失礼やな!」)。おじさんといっても鈴木さんとは同い年ですが(笑)。最初は鈴木さんが『最近こういう面白いことがわかった』と話してくれても、何が面白いのか分からない。でも、何度も耳学問で聞いているうちにだんだんわかるようになって。鈴木さんのどこがすごいのか、何が得意なのかがわかってきたのは2年くらい経ってからですね」(古川さん)

古川修平さん

「iCeMSに入るまで普段顔を合わせるのは自分と専門領域の近い生物学分野や医学分野の人とばかりで、研究の細部について話すことが多かったのですが、逆に、研究のコンセプトを話題にすることはほとんどありませんでした。しかし異分野の人と話すと、あらためて研究のコンセプトや方向性について考えることができます。そこから話を広げていくと、それぞれの特徴が分かる時期が来るんです。古川さんの強みは多孔性材料の中でも特に柔らかいものを作れるところであるとか、亀井さんのように組織間の相互作用に注目してチャンバー(細胞培養用の容器)を開発している人はなかなかいないといったことです」(鈴木さん)

 異分野の研究者同士が、それぞれの研究のコンセプトを理解し、強みを知るには、年単位の時間を要するのだ。

「あるとき鈴木さんが『こんな研究だったら、古川にできるかもしれない』と僕を誘ってきてくれたことがありました。話を聞くとたしかにできそうだった。それで鈴木さんの大きな研究計画のプロポーザルに加わったのです。鈴木さんが僕の研究を理解してくれていたからこそ生まれたチャンスでした。残念ながらプロポーザルは通らなかったのですが、鈴木さんと一緒にプロポーザルを書き上げた経験は、次の研究に生きています」(古川さん)

 鈴木さんの構想は、がんなどの病気が病気として顕在化する前に察知して手を打つ「先制医療」をiCeMS内外の研究者とともに実現しようというものだという。

「細胞がダメージを受けた時に発するガスを検出するための材料の開発には古川さんの技術が使えますし、そのガスがどの細胞に由来するのかを調べるのに亀井さんのチャンバーが使える。そしてがんになりかけの細胞を、膜タンパク質のシステムを使ってマクロファージに貪食させて取り除くところに僕らの研究が生かせるかもしれない。そんなふうにそれぞれの研究を融合できたらと考えています。ただし、当然ですが、今の段階では実績がないので、研究費を獲得できませんでした。無理やり融合させる必要はなく、個々の研究で発展させた先で、融合できればと考えています」(鈴木さん)

 古川さんは、以下の図のように融合研究が二つのパターンに分けられると考えている。

融合研究の2パターン(古川さんの手書き)。

「一般的な融合研究を表しているのが(1)です。異分野の研究者同士がお互いの研究内容にオーバーラップする部分を探して、その部分で協力して研究するというパターンです。僕と亀井さんが最初に取り組んだNOを放出して細胞に取りこませるデバイスの開発はこのパターンの融合研究と言えるでしょう。一方、現段階では研究内容にオーバーラップする部分がないとしても、目的やコンセプトを上位概念として融合する(2)のようなパターンもある。鈴木さんが仰っているのはこのパターンですね?(鈴木さん「そうです。この絵、いいですね」)」(古川さん)

 登山口は違っても登ってみれば頂上は同じ、あるいは別々の頂上が稜線で繋がっていることはしばしばある。わざわざ同じ道を進まなくても、岩場に取り付くか、沢を進むか、登り方は各々のやり方に任せ、最終的には頂上あるいは稜線上で出会えればいいという考え方と言えるかもしれない。

「(2)のやり方こそWPIアカデミーに移行したiCeMSにとってふさわしい融合研究のあり方ではないかと考えています。(1)は予算的に余裕がないと、なかなか難しいやり方です。2010年末にスタートした僕と亀井さんの研究は、融合研究加速タスクフォースの枠組みで予算が付いたおかげで、実験に必要な様々な装置を用意することができました。今はあの頃のリソースがありません。しかし、異分野の人が集まるiCeMSにせっかくいるのだから、これからも融合研究を発展させたい。(2)のやり方なら、上位概念で各研究が繋がるので、研究者は持てるリソースをすべて使って研究に打ち込めます。しかも分野間の違いが大きいほど、研究者たちが持っている特技も多彩になるので、上位概念が、サイエンスとしても面白いものになる」(同)

 iCeMS研究支援部門長の植田和光さんによれば、2007年のiCeMS発足時、WPI拠点作業部会によるサイトビジットでは「どこが融合しているのか」「何をしようとしているのか分からない」などと散々な評価を受けたのだという。植田さんはヒトの生理機能や健康維持に重要な役割を果たす「ABCタンパク質」に関わる遺伝子を世界ではじめて発見した研究者でもある。

植田和光さん

「当時はたった1年で融合するはずないという気持ちでしたが(笑)、リトリート合宿や海外拠点の立ち上げなどの活動を通じて、異分野の研究者間の言葉が少しずつ通じるようになってきた。2017年にWPIアカデミーに移行し、古川さん、亀井さんがPIになり、鈴木さんら若いPIも増えて、iCeMSがかなり若返ったのですが、それから融合が加速的に進んでいると思います」(植田さん)

 どんな研究も専門分化し、蛸壺化する傾向がある。しかし、異分野の研究者の密なコミュニケーションを通じて上位概念を形成し、融合研究に繋げる方法は、今後、研究者の専門性を高めつつ、新たなサイエンスも生み出す原動力となりそうだ。WPIアカデミーのみならず、人的にも物的にも資金的にもリソース不足に陥っている日本の科学界にとっても意義ある試みと言えるだろう。

「iCeMSが面白いのは、研究者同士で分野が交わらないので、基本的に競合が生じないところです。自分が温めているアイデアを話しても真似できないから盗まれない」(古川さん)

「サイエンスを進めるに当たって競争も必要ですが、共同研究や融合研究を進める上では、お互いがざっくばらんに話せる環境も重要です。安心してコラボできますから」(亀井さん)

亀井謙一郎さん

「以前は同じ分野の研究者と同じ研究棟にいて、お互いライバル関係にあったので、誰かが有力な科学誌に論文を載せても、素直におめでとうと言えませんでした。しかしiCeMSだと、みんな分野が違うので、メンバーの成功を喜べるし、それぞれの分野で一番になってほしいと心から思える」(鈴木さん)

 古川さんは「今が一番いい」と断言する。

「僕も亀井さんもWPI時代のiCeMSの文化をある程度知っているわけですが、それに対して、WPIアカデミーに移行してからのiCeMSには自分の研究を広げたいと意欲のある若い研究者がどんどん入ってきて、新しい文化を作りつつある。二つの文化が融合した結果が出てくるのはこれからじゃないでしょうか。過去のiCeMSのほうが今よりよかったと思ったことは一度もないですよ」(古川さん)

左から植田さん、亀井さん、鈴木さん、古川さん。

【取材・文:緑 慎也、写真・図版提供:iCeMS】


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