研究者とともに羽ばたく-国際科学広報の役割-
京都大学 物質-細胞統合システム拠点(WPI-iCeMS)
日本の研究機関は、海外に比べ、自分たちの成果をアピールする力が弱いと言われる。実際、ほとんどの大学の研究機関、理科系の学部は、科学広報専門の担当者を置いていない。
もちろん研究機関の目的として第一に求められるのはアピール力ではなく、研究活動の充実だ。アピール力だけ高めて成果を針小棒大に宣伝するのは本末転倒である。しかし、せっかくの成果も、研究所の中にとどめたままでは、知の世界を広げることはできない。
広報体制の国際化は、WPIプログラムの使命の一つである。世界中から優秀な研究人材を集めるには、単に研究環境を国際化するだけでなく、研究成果を積極的に外部にアピールしなければならないからだ。しかし、どうすれば研究成果を効果的にアピールすることができるだろうか。
そのヒントを得るため、今回はWPIアカデミー拠点のひとつで、国際広報に積極的に取り組んでいる、京都大学物質-細胞統合システム拠点(WPI-iCeMS=アイセムス)の研究支援部門パブリックエンゲージメントユニットの取り組みを紹介したい。
【 科学イラストでアイキャッチ 】
パブリックエンゲージメントユニットは、日本語と英語での広報、アウトリーチ活動を通じて、iCeMSの研究活動で得られた成果を広く社会に伝えている。その中でも、研究者の成果を紹介するプレスリリースの発表は、同ユニットの重要な業務の一つだ。
「プレスリリースを出すとき、研究者が書いた文章を専門家でない方にも伝わりやすくするようにアドバイスをしたり、公表のタイミングを論文が掲載されるジャーナルの編集部と調整したりしています。研究成果を外に出すプロセス全体を把握して管理できる専門の広報担当者を研究機関に置くことには大きな意味があると思いますね。伝え方のプロが関われば研究成果を広く伝えられるのはもちろんですが、研究者の負担も軽減され、研究に専念できます」
こう語るのは同ユニットのメンバーで、特定助教の高宮泉水(ミンディ)さんだ(図1)。高宮さんは広報関係の記事の文章を執筆するだけでなく、そこに添えるイラストも描いている。柔らかなタッチで研究のポイントを表す、親しみやすいイラストだ。
「近年、国内外問わず、研究成果はSNSでの拡散を通じて広く伝えられるようになってきました。拡散してもらう上で重要なのが、アイキャッチの役割を果たすビジュアル要素です」(高宮さん)
図1 iCeMSの国際広報を担う高宮さん
高宮さんは元々文系。言語学系の出身で、2013年にiCeMSに加わるまでは、中高一貫校での英語教員、アメリカでの音楽活動や通訳・翻訳、英会話学校教師など、英語に関わる仕事に多く従事してきた。英語で発信できることを強みにiCeMSで働き始めたという。ポスター制作などグラフィックデザインの経験はあったが、科学イラストを描いたことはなかった。
そのノウハウは、iCeMSでのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)で身につけた。理科系出身でないからこそ、気づけることがあるという。
「3Dグラフィックの細胞や分子構造などをよく目にします。かっこよくてインパクトもあるのですが、私にははじめ近寄りがたく感じました。iCeMSの記事を読む人も科学に精通している人ばかりとは限りません。科学者にとっては当たり前の表現でも、難しそう、自分には関係なさそうと敬遠されるかもしれない。そこで、面白そうと思えるような、すんなり心に入ってくる、受けとる人に寄り添うようなビジュアルを作れないかと思って、試行錯誤を始めました」(高宮さん)
【 基礎研究の魅力をどう伝えるか 】
イラストの制作に当たって、高宮さんはまず研究者から研究内容を聞き、想像を膨らませて、自分なりのストーリーを作る。そのストーリーに沿って、研究内容を凝縮してイラスト化する。たとえば、エネルギー効率が高く、寿命も長い有機薄膜材料を新たに設計したことを伝えるプレスリリースでは、図2のイラストを描いて掲載した。この材料の主な用途は太陽電池だが、花びら型の化学構造を組み込んだ分子が太陽光を受けとめ、電子を運ぶ様子と、材料の長寿命化を表す時計を配置した作品だ。
図2 iCeMSの研究ニュース「有機薄膜太陽電池をより高効率により簡便に
新しい電子受容性材料の設計指針」に掲載された高宮さんのイラスト
iCeMS拠点長の北川進特別教授が1997年に世界ではじめて開発した多孔性材料は、当初は固体のものばかりだったが、近年ではガラス質、液体のものが作られている。こうした研究の進展を伝える記事に添えたのが、図3だ。ワイングラスのベースの部分が結晶性の、ワインを注ぐボールの部分がガラス質の、そしてリップから流れ出るものが液体の多孔性材料を表す。目を移せば、自然に多孔性材料の進展ぶりが追える仕掛けだ。背景には、分子の連なる格子模様の間でガス分子が吸収・放出されたり、イオンなどを模した光の球が行き来したりする様子が描かれ、多孔性材料の機能が表現されている。見れば見るほど、味わいのあるイラストだ。
図3 iCeMSの研究ニュース「New state-of-the-MOF materials」に掲載された
高宮さんのイラスト
iCeMSで行われているのは基礎研究で、その成果がすぐに社会の役に立つわけではない。応用先があるかどうかすらわからない、研究者の純粋な探究心に基づく研究も行われている。だからこそ研究に興味を持ってもらうための一工夫が問われる。
「人類にとっての『未知』を『知』に変えていくのがiCeMSなどWPI拠点のミッションです。しかし、科学的に大きな意味がある研究も、すぐには人々の生活の役には立たないことがほとんどですし、100年後に役立っているかどうかもわかりません。そのため一般の人に話を聞いてもらうこと、聞いてもらえたとしても理解してもらうのが難しいんです。科学研究もテーマによっては、多くの人に興味を持ってもらいやすいものもありますが、iCeMSの研究者たちの実験対象は顕微鏡サイズのものばかりで親近感が持ちにくく、イメージしづらいんです。『これなんだろう、面白そうだな』と引き付けるようなものとしてイラストが役に立つと考えています」(高宮さん)
パブリックエンゲージメントユニット長で、特定准教授の遠山真理さんは、科学館や研究所の広報を経て、2018年にiCeMSに着任した。「高宮のイラストは独自のセンスで描かれ、一枚の絵の中に研究成果のポイントが強弱をつけた状態で濃縮されていて、さらに、見る人に考える余韻をもたせる奥深さがある。仕上がりがいつもこちらの期待以上のものなので、これを活かさない手はない」と、プレスリリースに積極的に掲載し始めたという。今では、プレスリリース以外の広報用の素材にも必ずビジュアル要素を使っている。
「高宮は北川拠点長からジャーナルカバーのイラストの制作を依頼されたり、地元の京都新聞に取りあげられたりする機会もあり、高宮とともにiCeMSの認知度も上がっています。科学ニュースサイトのEurekAlert!やAsia Research NewsなどのトップページでiCeMSのプレスリリースが取りあげられる機会も格段に増えました」(遠山さん)
目を引くビジュアル素材のありなしが、海外メディアで取りあげられる確率を上げるのだ。SNSの拡散数、閲覧数も向上しているという。
【 広がる科学イラストの役割 】
科学イラストの大きな役割は、一般の人が新たな研究成果に触れるとき、その理解を助けるところにある。だが、高宮さんのイラストを見ていると、専門家にとっても何かインスピレーションを与えるのではないかと思えてくる。
「イラストからヒントを得て研究が進むかどうかはわかりませんが、自分と分野の違う研究者と話をするときに私のイラストを使って説明することはあるようです。北川拠点長も研究室に私のイラストを飾ってくださっています。研究者同士の交流やネットワーク作りに役立っているのかもしれません」(高宮さん) 研究とは直接関係のないものにも高宮さんのイラストが使われている。たとえば、新型コロナウイルスの感染防止対策を説明するポスターでは、手洗い励行や、実験器具などを利用する際の注意事項を、高宮さんがイラストでわかりやすく描いている。
図4 新型コロナウイルス感染防止をよびかける高宮さんのイラスト
SNSでも発信している
「iCeMSは実験系の研究所なので、ロックダウン下でも出勤しなければならない研究者がいます。そこで共用の器具などをなるべく清潔にしましょうと呼びかけるポスターを作り、他の研究施設でも使えるので、Twitterにも投稿しました。この拠点の公用語は英語なので、ポスターも英語ですが、研究者の出身地は様々で、母国語が英語でない人もたくさんいます。彼らにも伝わるようなポスターを作りたいと考えました。イラストは所内連絡にも有効です」(高宮さん)
パブリックエンゲージユニットでは、プレス発表のほか、Web記事、広報誌「iCeMS Our World, Your Future」や、研究者のインタビュー動画の作成、ノベルティグッズなどの企画、イベント等の企画立案も行う。国際学会に参加し、日本での研究に興味を持つ海外研究者にiCeMSやWPIでの研究の魅力を伝えるなど、研究者確保のための広報活動を行うこともある。
図5 iCeMSのパブリックエンゲージメントユニットの遠山さんと高宮さん
広報誌やノベルティグッズとともに
【 広報の意義 】
研究所と外部を繋ぐ様々な業務を担う重要な部門だが、同様の役割を果たす広報部門や、科学広報専門の担当者を置く大学機関は日本には少ない。京都大学の場合、iCeMSの他に科学広報専門の担当チームを置いているのはCiRA(サイラ:京都大学iPS細胞研究所)くらいだという。
「CiRAは、もともとは、iCeMS内の組織が独立したものですから、広報担当部門も、iCeMSの流れを汲んでいると思います。京大の各部局には私たちのような広報担当チームはないのですが、京大全体の広報については、国際広報室が担っています。その国際広報室の室長の今羽右左(コンハウザ)・デイヴィッド・甫(はじめ)さんも以前はiCeMSにいて、私の上司でした」(高宮さん)
iCeMSではじまった国際広報活動の取り組みが、じわじわと京大全体に広がりつつある様子がうかがえる。他のWPI拠点の広報担当者とは年3回程度集まる機会があり、お互いのノウハウを共有しているという。日本では大半の大学の部局で、広報活動が、必ずしも重視されているとはいいにくい状況だ。研究成果のプレスリリースも英語版は出さず、日本語だけで済まされるケースも多い。これでは日本の研究成果は世界に伝わらず、結果的に、国際的な研究者コミュニティーの中での日本のプレゼンスは向上しにくい。こうした状況を打破することが、WPI拠点の使命である。
「研究ってこんなに面白いんだ、こんなにすばらしい研究環境があるんだと人々に思ってもらえなければ、誰も研究しなくなるかもしれません。研究人材を増やすためにも、広報活動が欠かせません。日本の研究所は研究第一で、伝えることは後回しのところが多いと思います。資金面で、広報まで手が回らないという事情もある。しかし、しっかり広報をして存在感をアピールできれば、資金獲得に繋がる場合もあるのではないでしょうか」(高宮さん)
【 一翼 】
iCeMSのパブリックエンゲージメントユニットは研究所をアピールする独自の取り組みを続けているが、課題もある。同ユニットの活動の幅は広いが、広報を担当するスタッフは遠山さん、高宮さんの2人とウェブ発信のサポートスタッフ1人とのこと。Web制作や冊子制作などでは、制作会社の協力を得ている。だが、記事、ポスター、動画などコンテンツの中身は2人で考えなければならず、「ここはもっとこうすればよかった」と反省が残ることがしばしばあるという。もう一つは雇用制度に関わる課題だ。研究者でも事務でもない研究支援の専門家設置の取り組みはまだ新しく、その雇用体制は多くの大学で発展途上だ。研究支援の人材を研究支援の人材として評価し、経験の蓄積に応じてキャリアアップできる仕組みが必要だ。
広報誌「iCeMS Our World, Your Future」には「アイセムスの一翼」と名付けられた1ページがある。拠点の研究活動を支えるスタッフを毎号1人ずつ紹介する連載記事だ。第9号では高宮さんが登場した。片翼では空を自由に飛ぶことはできない。研究者の翼と、研究支援者の翼。両翼があってはじめて思い通りに羽ばたくことができる。「一翼」には、そんな思いがこめられている。
【取材・文:緑 慎也、写真・イラスト提供:iCeMS】
関連情報
過去記事
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2021年11月30日
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2020年1月23日