学際的研究の要「共用実験機器」の可能性
京都大学iCeMS解析センター 特定助教 本間貴之さん
一口に研究者と言っても、分野が違えば、研究の方法論も、使用する実験装置も異なる。科学的な考え方と言語(多くの場合、英語)を共有していたとしても、異分野の研究者同士が、お互いの専門的な話をすぐに理解できるとは限らない。
国ごとの社会的慣行や生活習慣の違いに似たギャップは、異分野の研究者の間にも存在するのだ。
WPI-iCeMS(物質-細胞統合システム拠点。以下iCeMS)において、社会的慣行や生活習慣のギャップを埋めるのが前ページに紹介した外国人研究者支援室なら、異分野研究領域のギャップを埋めるのが「解析センター」と言えるかもしれない。
解析センターの主な役割はiCeMSの実験機器の管理である。といっても、各研究室にある実験機器のすべてを取りしきっているわけではない。取り扱っているのは、研究室単位では購入しにくい高価なものや、広いスペースを要するものなどである。iCeMSの場合、バイオ系として共焦点顕微鏡やフローサイトメーター、セルソーター、DNAシーケンサー、材料科学系として透過型電子顕微鏡、走査型電子顕微鏡、核磁気共鳴装置など最先端の実験機器を共通機器として取りそろえている。これらを複数の人で共用するためのルールを決め、操作方法を指導し、機器のメンテナンスを行う。予約システムを運用して拠点内外からの利用者を受け入れるのも、解析センターの役割である。解析センターは、2017年に、それまでメゾバイオ1分子イメジングセンターで管理されていた先端光学顕微鏡等の生物系機器を担当するバイオ解析機部門と、化学系の解析機器を担当するマテリアル解析部門をあわせて設置された。
「実験機器の扱いには、揉めるポイントがある」と語るのは、解析センターの本間貴之さんだ。
「たとえば冷却機能付きの遠心分離機のフタを開けておくのか、閉めておくのか。ある文化圏から来た人は開けておくべきだと考えるし、別の文化圏から来た人は当然閉めておくべきだと考えます。些細な違いですが、毎日顔をつきあわせると、トラブルになるんです。だから標準ではどちらか決めておく。ローカルルールがあれば、みんな迷いません。また、機器を管理する側からすれば、すべての機器の利用記録を把握したいと思うものですが、ここでは日常的に頻繁に使う機器についてはログブックを付けなくてもいいことにしています。研究者は新しいアイデアが出てきたら、すぐにそれを確認してみたいと思うものだと思いますが、それを検証する実験が面倒くさくなって『もういいや』とルールが守られなくなっても困りますし、研究意欲が下がることになったら本末転倒です」
トラブルを未然に防ぎ、使い勝手のいいシステムが研究を促進するのだ。
共通実験室の使用に関する規則や安全面の注意点については、Room inductionと呼ばれる1時間程の研修で本間さんや、解析センターのメンバーが教示する。こうした研修を受けた人だけが共通実験室やそこにある実験機器を使える仕組みだ。
「Room inductionでは、『なにかあればどんなことでも話してほしい』と伝えています。誰でも事故や失敗を隠したがるものです。しかし、事故について聞くのは責任を追及するためではなくて、次の事故を防ぐためです。どんなことでも話してもらうためには、フレンドリーな関係を築く必要があるので、実験室の使用とは直接関係のない、日本や京都での生活で役立つ情報についても話します」
解析センターの役割は、実験機器の管理にとどまらない。
「研究者は自分の専門分野で使う実験機器で、どんな実験ができるのかよく理解して、その扱いにも当然慣れています。しかし、異分野の実験機器ではそういうわけにはいきません。したがって、何か新しいアイデアがあっても、自分の専門分野から外れる実験が必要な場合には、そもそもどんな機器を使えばいいのかわからないことがしばしばあります。特にiCeMSの研究者たちは学際領域の研究に挑戦していますので、自分のやったことがない実験にも果敢に取り組んでいきます。そんなとき、僕は実験機器のコンシェルジュとして『こんな実験機器があります』とか『この先生に聞けばいい』とアドバイスしています。実験機器を介して、異分野の研究促進を支えることができるのです」
iCeMSに赴任する前、本間さんはインペリアル・カレッジ・ロンドンに8年間在籍した。このときの経験が、解析センターでの活動に役立っているという。
「インペリアルは多様性が高く、6割以上が外国人研究者です。そこにはバックグラウンドの違う人たちがトラブルを起こさずに実験機器を使えるシステムが必要でした。大ざっぱでありながら、皆が比較的自然に納得できるルールを備えたシステムです」
本間さんのインペリアルでの経験が、解析センターの共通実験機器管理システムのベースになっているのである。
さらに本間さんは、インペリアルで、トップレベルを維持する仕組みに触れたという。
「インペリアルは、研究者の入れかわりの激しい大学でした。一方、共用の実験機器を管理するスタッフは長くそこにいる人たちが多い。管理スタッフが経験を積んでいるから、外から来た研究者でもすぐに実験をして成果を出し、次の研究拠点へと移動できる。どんな実験機器があるか手探りで見つけて、一から使い方を覚えていたら大変です。すぐ実験に取りかかれる、研究に専念できる、自分の専門分野では扱わない実験機器も利用しやすい。そういう環境を備えているからこそインペリアルはトップレベルを維持できるのだと思いました」
研究者の新陳代謝と、共用実験機器の管理スタッフの恒常性が、トップレベル維持の2大要件なのだ。われわれはともすると前者に目を向けて、後者を見落としがちかもしれない。
「僕は、iCeMSに来る直前、生物と工学を融合したバイオエンジニアリングの領域で研究をしていたのですが、エンジニアリング専攻の人からバイオ系の実験を教えてほしいと頼まれることがしばしばありました。そのとき相手をした人数は200人以上で、国籍も30カ国以上にのぼります。学科内の橋渡しをする機会が多く、この仕組みを日本でも作りたいと思ったんです」
研究予算の伸び率が鈍化する中、文部科学省も、先端研究機器の共用システムの構築に力を入れている。同じ実験機器を複数の研究室が購入する無駄を省き、共用化して、機器の稼働率を上げるとともに、メンテナンス費などのコストを削減するためである。その具体的な事業として、国立研究開発法人科学技術振興機構は「先端研究基盤共用促進事業(新たな共用システム導入支援プログラム)」を立ち上げ、対象機関に対して研究設備、機器の共用化を促進する事業を実施している。iCeMSは平成30年度に同事業に採択された。本間さんは、iCeMSの取り組みを京大の学内や学外にも広げようとしている。
「共通機器の管理なんて面倒な仕事だし、あまり関わらないようにしようと思う人もいるかもしれません。でも、国際的に通用するトップレベルの研究を促進・維持していくためには必要な仕事だと思っています」
【取材・文、写真撮影:緑慎也】
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