眠れるデータを起こせ!
―基礎研究とビジネスのエコシステム構築へ、WPI発ベンチャーの挑戦―(下)

S’UIMIN誕生

「事業化を目指すといっても、先立つものがなかった(笑)。そんなときに降って湧いたのがイノベエコです」(柳沢氏)。イノベエコとは、文科省補助事業「地域イノベーション・エコシステム形成プログラム」。茨城県、つくば市、筑波大学などを構成メンバーとする一般社団法人つくばグローバル・イノベーション推進機構(TGI)は同事業に応募し、2016年度に採択された。その資金を活用して、柳沢氏が主導する「世界中の眠りに悩む人々への睡眠計測サービス事業」がスタートした。

 事業化には、ハードウェア、ソフトウェアの開発者、人間の睡眠脳波を解読する臨床検査技師など様々な専門家集団を取りまとめ、実際に事業化したときに社長を務められる人材も必要だ。そこで白羽の矢が立ったのが、藤原氏だった。

 藤原氏は東京大学大学院で獣医学を修め、中外製薬に入社。バイオ医薬の研究やライセンス業務などに携わった後、コンサルタントなどを経て、理化学研究所発のベンチャー企業カイオム・バイオサイエンスを2005年に創業し、2011年にはマザーズ上場を果たした。2017年、同社の経営刷新に伴い、退職後、次の職を探していた頃に、IIIS事務部門長の小久保利雄氏と藤原氏の共通の知人から声がかかり、まもなく柳沢氏と面会した。

 藤原氏にとって、1歳年上の柳沢氏は憧れの研究者だったという。

「柳沢さんがまだ筑波大学の大学院生だった1988年にNature誌に発表した血管収縮因子エンドセリンには強い衝撃を受けました。その当時、中外製薬に入って2年目でしたが、社内の論文抄読会で取りあげたくらいです。憧れの研究者に会ってしまったからには、引き受けざるを得ない……。そんな気持ちになったのはたしかですが、事業構想にも魅力を感じていました。もしまたベンチャーに挑むなら『脳』と『AI』に関わるテーマがいいと考えていましたが、本事業構想には二つとも含まれていたからです」(藤原氏)

藤原氏は、2017年6月1日付けで、TGIの職員として、睡眠計測検査サービスの事業化に向けて技術を磨きつつ、起業の頃合いを見計らった。

 事業のアイデアやプランだけで起業はできない。アイデアを小規模でも実証し(PoC)、プロトタイプを作って改良を重ねなければならない。市場調査を進め、資金調達先も探す必要がある。一方、医療機器の場合は、認証機関の承認を得て、はじめてサービスを提供できる(と思い込んでいた)が、申請から承認取得の過程に早くても1年半、通常は2年かかる。これらの要素を踏まえて、適切な起業のタイミングを探るのが普通だ。しかし、藤原氏はTGIに身を置いてわずか1カ月半後、PoCの途上ではあったが、起業の目途が立ったと確信し、「早く起業しましょう」と柳沢氏ら関係者に呼びかけた。

「当初の予定では、もう少し後で起業するつもりでした。ところが、脳波を取得する精度や、その脳波を解析するAIの向上が私の予想以上に早く進んでいたので、のんびりできないと思ったんです。ちょうど大学の夏休みの直前でした。会社員だと夏休みはあまり長くありませんが、大学では一斉に休まないといけない。これはちょうどいいと、お盆の時期に設立趣意書を作って、起業の準備を進めました。ありがたいことにトントン拍子に話が進み、10月17日にS’UIMIN社の設立にこぎ着けました。実を言うと、起業を焦った要因がもう一つあります。TGIでは他の事業化プロジェクトも統括する立場で、なかなか睡眠計測プロジェクトに関与できなかったんです。柳沢さんの夢を叶えるために来たのに忸怩たる思いでした。睡眠の事業に早く専念したかったというのも、起業を急いだ理由です」(藤原氏)

 社名は柳沢氏と藤原氏の合作だ。柳沢氏がSUIMINを発案し、藤原氏がこれにSleep is Ultimate Intelligent Mechanism In Nature(睡眠こそ自然がもたらした究極の賢い仕組み)の短縮形という「意味」を与えた(isを略した結果、Sの後ろにアポストロフィ記号が付くことになった)。ある朝、藤原氏の頭にこの一文が突然ひらめいたのだという。

 夢をきっかけに生まれた重要な科学的発見の例は多い。睡眠が記憶や思考の整理に大きな役割を果たしているからだと考えられているが、藤原氏のひらめきも、この睡眠の作用によるのかもしれない。

トヨタ系ファンドから資金調達

 S’UIMIN社は2018年11月16日、トヨタ自動車や三井住友銀行などが出資し、投資会社のスパークス・グループが運営する「未来創生ファンド」から7億円の資金を調達したと発表した。

 未来創生ファンドの存在を伝えてくれたのは、身近にいる人だったという。

「IIISと同じ建物に入っているF-MIRAI(未来社会工学開発研究センター)センター長の髙原(勇)さんが、『こんなファンドがありますよ』とスパークス・グループのことを教えてくれました。髙原さんは元々、トヨタ自動車でクラウンのボディー設計に携わってきたエンジニアですが、その後、トヨタ自動車の未来を構想する部署で、30〜50年先の社会を見据えたモビリティのあり方を研究していました。彼らが特に重視していたのが睡眠研究で、2017年に、トヨタが筑波大学に出資して設立されたのがF-MIRAIです」(柳沢氏)

 自動車メーカーと睡眠研究はすぐには結びつかないように思えるが……。

「自動運転と大いに関係があります。完全無人運転が実現するまで、人が運転したり、車に運転を任せたりしますが、運転手は絶対眠くなる。だから自動車メーカーにとって睡眠はとても大事なんです」(柳沢氏)

 同社が出資を受けたのは未来創生2号ファンドであり、同ファンド最初の案件となった。

「最初に出資を依頼したときには、1号ファンドの運用がほぼ終わっている頃で、『米びつの残りが少ないので、期待されるほどの金額は出ません』と言われて、ちょっとしんどいなと思っていたんです。ところが『2号ファンドを設立するまで待てますか』というので『待ちます』と。その結果、S’UIMINが2号ファンドの新規投資の第1号会社となりました。シリーズAで1億〜2億円を調達して、次のBでさらに増資するのが通例ですが、Aだけで数年続けられるだけ資金を得られたのは幸運でした」(藤原氏)

 同社は常陽銀行グループが設立した常陽産業研究所や、筑波銀行が運営するつくば地域活性化ファンドなどからも出資も受けシリーズAをクローズさせた。

健診のオプションとして

 資金調達額の多さは、昨今のスリープテックの流行もさることながら、IIISの基礎研究をベースとした同社の技術力の高さに対する期待を反映している。

 2020年8月にサービスの提供を開始する予定だ。

「まずは寝具やサプリなど睡眠関連商品を研究開発している企業や健康経営に取り組む企業向けにサービスを提供していきます。最終的には、患者にわれわれのデバイスで自宅で睡眠脳波を測定してもらい、AIの分析結果を医師が患者に説明し、治療に活かすという形を想定しています。睡眠薬などの治験にも使えると考えています。従来、治験の第2相まではPSGで睡眠脳波を測定しますが、大規模な人数での検証を要する第3相では、被験者の主観だけ、つまり、被験者が効いている感じがしているかどうかだけで薬の効果を評価する。私はそれではダメだと思う。客観的な睡眠脳波のデータが必要です」(柳沢氏)

 健康診断のオプションとして、睡眠計測検査を受けるといったケースも想定する。藤原氏は「日本は健診大国。年間で7,000万人が健診を受ける。そのうちの僅か1%の70万人が睡眠検査オプションをいきなり受けるとすると……。こちらもパンクしそうで怖い」と笑うが、同社の臨床研究結果からはそれの数10倍の潜在市場があるかもしれない。ぐっすり眠ったと自分では感じても睡眠の質は悪かったり、全然眠れなかったと感じても実はいくらかは深く眠っていたりするかもしれない。眠っていて意識のない間に何があったのか知る手段があるなら利用したいと思う人はたくさんいるだろう。

 将来的には一般の個人が同社のデバイスを装着して自宅で睡眠脳波を測定し、スマートフォンのアプリで分析レポートを確認するといったBtoCの利用形態もはじめる予定だ。

「一般の方に睡眠脳波の分析レポートを直接送る場合は、医師相手の場合以上に、丁寧で、わかりやすい内容である必要があります。転勤した、あるいは転職したといった生活が劇的に変わるようなタイミングで1週間程度、睡眠脳波を取っていただき、よく眠れているのか調べ、それに対する個別のソリューションが提供できるといった使い方を実現したいですね。まずは、睡眠の質に関わるいくつかの評価項目を点数化して、それぞれA〜Eの5段階を判定して、それぞれの段階に応じて睡眠に関するアドバイスや改善策を提案したり、医療機関への受診を促したりできるようなサービスを考えています」(藤原氏)

 寝具メーカー、健康食品・サプリメントメーカーからS’UIMIN社のデバイスを利用したいという引き合いも多いという。「自社製品が、睡眠を改善していると訴えたいけれど、今までは利用者に対してアンケートを実施するくらいしか手段がありませんでしたが、これからは客観的な睡眠脳波で効果を示すことができます。時には厳しい(製品には実は効果がなかったという)結果が出てくるかもしれません(笑)」(藤原氏)

脳波は資産

 柳沢氏は、脳波が資産になると考えている。

「もし100万人規模の睡眠脳波が得られたとすると、その中には、たとえば週末も含めて4時間しか眠っていないというような、睡眠時間が極端に短い人が出てくるかもしれません。逆に、睡眠時間の極端に長い人もいるでしょう。そういう人たちは、私の研究対象です。遺伝学的な研究をしてみたい」(柳沢氏)

 インフォームド・コンセントを取る必要はあるが、睡眠計測検査サービスを通じてフォワードジェネティクス的な研究を実現する可能性が開けてくるわけだ。S’UIMIN社の活動を知って、IIISの研究に興味を持つ研究者もいるという。人の睡眠脳波のデータが大規模に集まる可能性に魅力を感じる睡眠研究者がたくさんいるのだ。「昨日も今日もZoomで留学生とオンラインで面談をしました」(柳沢氏)

 藤原氏も、ビジネス上の成果が基礎研究につながることを期待している。

「睡眠・覚醒についてはまだわからないことばかりです。人間の研究とマウスの研究が、双方から近づいていけば、その謎の解明が早く進むでしょう。そのためにもこのデバイスを普及させなければならない。今、その入口に立っているわけです。とてもエキサイティングです」(藤原氏)

柳沢氏(左)と藤原氏(右)。IIISの裏庭にて。「最初はおっさんの会社としてはじまったんです。今は若い人が増えました。おっさんと若者のいいところを組み合わせたいですね」(柳沢氏)、「若い人たちのネットワークは広く、誰に何を聞けばいいのかすぐに摑んできます。そのスピード感は本当にすごい。僕ら昭和のにおいのする人間とは違う(笑)」(藤原氏)

 事業内容には、睡眠計測検査サービスの他に、医薬品候補物質のライセンス事業も含まれる。「IIISは創薬研究も行っています。もし契約したいという企業が出てくれば、S’UIMIN社が仲介することになります」(柳沢氏)

 睡眠・覚醒をコントロール神経伝達物質「オレキシン」の発見は、柳沢氏の代表的業績の一つで、これをもとにした不眠症治療薬が開発された。今後IIISから同様の発見があれば、S’UIMIN社が技術移転機関(TLO)の役割を果たすことになる。

 ビジネスと研究の相乗効果だけではない。研究へのもっと直接的な貢献、すなわち金銭的な還元も視野に入る。

「S’UIMIN社のビジネスが軌道に乗って、その利益の一部が共同研究費という形でIIISに還元されるようになるのが理想です。そうなればベンチャー活動に対するIIISの研究者たちの意識もガラッと変わるでしょうね」(柳沢氏)

 同社は「世界中の睡眠に悩む人々にとっての希望の光となる!」をビジョンに掲げる。睡眠の大切さを訴える企業だけに、夢も膨らむ。だが、まだ掘り起こされていない膨大な量の睡眠中の脳波データ、文字どおり「眠れるデータ」の価値は、夢でも幻でもない。

「まずは企業としてしっかり利益を上げるのは大前提ですが、研究から次のビジネスのネタを生み、またビジネスから次の研究のネタを生むというようなエコシステムを構築したい。同時に発足したWPI拠点発のベンチャーとしては最初のものの1つですから、われわれ二人より若い世代の人たちとともにグローバルでも勝負したいですね」(藤原氏)

【取材・文:緑 慎也、写真:貝塚 純一、資料提供:株式会社S’UIMIN】

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