「プラン」の設定と「サイエンスゴール」の存在が異分野融合を進めるエネルギー
(WPI-ELSI後編)

 WPI-ELSI(東京工業大学地球生命研究所)の準主任研究者で、惑星科学者の黒川宏之(東工大特任准教授)さんも「自分の専門外の研究者の話を聞く機会が多い」ことが融合研究を促進すると感じている。

「ELSI内で開催される研究会やカフェタイムで毎日のように異分野の研究者と顔を合わせるので、自分の研究と誰かの研究を組みあわせて何かできないかという着想が得られますし、異分野の研究者に声をかけるのにも抵抗がなくなりますね」

黒川宏之さん

 千葉の幕張メッセで開催された日本惑星科学連合2019年大会に参加した黒川さんは、ある研究者の発表を聞いて関心を持ち、その場で共同研究を申し込んだ。ELSIの日常で自然に身についた機動力が発揮されたわけだ。

「声をかけたのは当時神戸大学大学院特命助教(現・宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉宇宙科学研究所 宇宙科学プログラム室 主任研究開発員)の臼井文彦さんでした。赤外線天文衛星「あかり」の観測で得られた小惑星帯(火星と木星の公転軌道の間の、小惑星が多数存在する領域)に関するデータを、私たちが取り組んでいた研究に適用できないかと思いついたからです。面識がなかったので、後で連絡を取るよりその場で話しかけた方がいいと思ってお伺いしたところ、ご快諾いただきました」

 物質はその構造や組成ごとに異なる波長の光を吸収したり放射したりする。この性質を利用し、対象物が発する光の波長を分析することで、そこにどんな物質がどのくらい含まれるかを推定するのが分光分析だ。

「あかり」は2006年に打ち上げられ、2011年に運用を終えるまで全天を赤外線で観測し、膨大なデータを残した。地上からでは大気に邪魔されるが、軌道上からなら高い感度、解像度での観測が可能だ。黒川さんは臼井さんから小惑星帯に存在する複数の小惑星に関する「あかり」のデータを提供してもらい、地球形成期に水や有機物をもたらしたと考えられているC型小惑星の多くにアンモニアを含む層状珪酸塩鉱物が存在することをはじめて発見した。

(a)アンモニアを含む層状珪酸塩の存在を示す3.1 µm吸収深さ(横軸)。黒:「あかり」が観測した小惑星。橙:C型小惑星に由来する隕石。青:アンモニア氷を含む初期組成についての理論計算結果(数字は水と岩石の比率で図3bの横軸に対応)。(b)黒:3.1 µm吸収を示す小惑星の反射率。青:理論計算で得られたアンモニア含有層状珪酸塩を含む鉱物組み合わせの反射率。紫:理論計算で得られた水氷に覆われた小惑星の反射率。(Credit: Kurokawa et al. 2022 AGU Advancesから改変)

 地球に降ってくる隕石のうち、水や有機物などを含むものを炭素質コンドライト隕石という。C型小惑星は炭素質コンドライト隕石の起源と考えられているが、これまでのところ、炭素質コンドライト隕石にアンモニアを含む層状珪酸塩鉱物は発見されていない。

 隕石とは小惑星が他の天体と衝突して破壊され、バラバラになったものである。したがって、その衝突時か、地球大気への突入時に、外層の鉱物が失われたと考えれば、隕石からアンモニアを含む層状珪酸塩鉱物が発見されないことの辻褄は合う。

黒川さんらの研究から導かれたC型小惑星の形成進化史。(Credit: Kurokawa et al. 2022 AGU Advancesから改変)

 それでも複雑な構造を持つ鉱物がどこでどのように作られたのかという謎は残る。黒川さんは、小惑星内部で岩石と水の反応によりどのような鉱物ができるかなどを実験的、理論的に研究している海洋研究開発機構(JAMSTEC)超先鋭研究開発部門超先鋭研究プログラム主任研究員の渋谷岳造さん、小惑星内部の水の循環などについて研究しているELSI主任研究者で現ELSI所長の関根康人さん、そしてカリフォルニア工科大学 地質学・惑星科学専攻教授のエルマン・ベサニーさんらと、アンモニアを含む層状珪酸塩鉱物がどのような環境で形成されるのかを検討した。

 その結果、この鉱物がアンモニアの氷とドライアイスが存在する条件下で合成されることが明らかになった。

 しかしそれで問題が解決するわけではない。火星と木星の間にある小惑星帯はそのような条件を満たさないのだ。この鉱物は生じるはずのない場所に存在していることになる。いったいどういうことなのか。

「アンモニアを含む層状珪酸塩鉱物は、もっと寒い場所、つまり太陽から遠く離れた、具体的には土星よりも遠くの場所で作られた後、9億キロメートル内側へ移動してきたのではないかと考えています」

 地球の水や有機物、すなわち生命の材料物質は、小惑星帯どころか土星よりも離れた場所からやってきたかもしれないというのだ。壮大なロマンを感じさせる研究成果ではないだろうか。

 黒川さんらの研究は、2022年1月に国際学術誌「AGU Advances」オンライン版に「Distant formation and differentiation of outer main belt asteroids and carbonaceous chondrite parent bodies(小惑星帯外側の小惑星と炭素質コンドライト母天体の遠方での形成と分化)」と題して掲載された。

 黒川さんによれば、この研究は新学術領域研究「水惑星学の創成」(2017-2021年度)の支援を受けてスタートしたという。当初の目的は探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへタッチダウンしてサンプル採取に挑む前、リモートセンシング観測によって得られたデータを用い、リュウグウがどこで生まれ、どのように地球近傍を飛来するようになったかなどを探ることだった。ところが――。

「渋谷さん、関根さん、私のそれぞれの手法をリュウグウに適用できないかというのがこの領域の代表の関根さんのアイデアだったのですが、リュウグウに対するリモートセンシング観測の結果に、われわれの手法を適用しても多くの情報を引き出せそうにないことがわかったんです。リュウグウ自体が暗かったり、観測装置の制約で、データの精度に限界があったりしたからです。それで、どうしようかと考えていたところ、学会で臼井さんの講演を聴き、『あかり』の観測データならうまくいくかもしれないと思いついたんです」

 こうしてリュウグウから小惑星帯の小惑星へと対象を広げたわけだ。結果的には、そのおかげで地球や生命の起源と小惑星の起源をつなぐ重要な成果が生まれたと言えるだろう。なお今も分析が続くリュウグウのサンプルにアンモニアを含む層状珪酸塩鉱物が確認されれば、この研究の結論を裏づける証拠の一つとなる。

「融合研究が最初のプラン通りに進まないことはよくあります。しかし、仮でもいいのでまずプランを設定することが大事だと考えています。仮のプランについて研究者間で一緒に検討しておくと、後でプランが変わったとしても、実際に研究成果としてまとまることが多いからです。異分野の専門家が集まる勉強会はよくあるのですが、しばしばお互いの専門分野を紹介し合うだけで終わってしまいます。みんな自分の専門領域の研究で忙しいのでなかなか融合が進まないのです。成果が出やすいのは自分の専門領域の研究のはずですから。しかし、とりあえずプランを設定して半年後の学会で発表するといったタイムラインも作っておくと、融合研究は進みやすいですね」

 黒川さんは、ELSIが掲げる「サイエンスゴール」も融合を進めるのに重要な役割を果たしていると指摘する。

「ELSIは前所長の廣瀬敬さんのもとで最初の10年間、『地球と生命の起源と進化』をサイエンスゴールとして研究対象を設定していました。今は現所長の関根さんが『地球外生命の可能性』へとサイエンスゴールを新たに設定しました。いずれにしても明確なゴールがあれば、地球と生命の起源と進化の謎に迫るには、あるいは地球外生命の可能性を探るにはどんな研究が必要かといった共通の問いから議論を始められます。私が以前留学していたドイツのマックス・プランク天体物理学研究所でも1日2回もカフェタイムが設けられ、コーヒーばかり飲んでいる気もしましたが(笑)、所内の研究者が活発に議論する雰囲気があり、共同研究がとても盛んだったんです。ところがELSIのような研究所全体を貫くサイエンスゴールは掲げられていませんでした。それはそれで研究者が自由にテーマを設定できる良さはあります。しかしELSIの場合はあらかじめ決まったゴールがあったから、異分野の専門家がバラバラにならずに共通のゴールに向けて議論ができたんだと思います」

 先に玄田さんも指摘していたように「融合にはエネルギーが必要」なのだ。「仮のプラン」「異分野の研究者が長期的に一緒に過ごす時間」あるいは「サイエンスゴール」は異分野融合エネルギーの役割を果たしているのかもしれない。

 一方、新型コロナウイルスによる影響が長引く中、海外から研究者を呼び、長い時間を共に過ごしたり、所内のカフェやバーで気軽にコミュニケーションを取ったりしにくい状況が続いている。

毎年開催されるELSIシンポジウムでのポスターセッションの様子。ポスターセッションから新しい共同研究が生まれることもある。(Credit: N. Escanlar, WPI-ELSI)

 玄田さんも「気になっている」という。

「この1、2年ほど海外から人を呼べなかったので、その影響が今後出てくるのではないか。すでに関係を構築している相手とオンラインでミーティングをするのはいいのですが、たとえばオンラインの研究会が、対面でのコミュニケーションの代わりになるかと言えば、難しいと思います」

 それでも、黒川さんはオンラインにも可能性を感じているという。

「オンラインの研究会が活発になってから、ELSI以外の研究者と議論する機会が増えました。このメリットを活かせればと考えています」

 ELSIは「地球生命コース」を設け、22年4月から大学院生の受け入れを開始した。人材育成もこれまで10年間に蓄積してきた融合研究の経験やノウハウを波及させる試みの一つと言える。

 22年4月から1期生として修士課程に日本人5人、外国籍3人、9月から外国籍2人が新たに加わり、計10人が同コースで学ぶ。

 玄田さんによれば、ELSIのように「地球と生命の起源」「地球外生命の可能性」といったサイエンスゴールを掲げる研究所は世界的にもほとんどなく、海外の注目を集めているという。

「ELSI設立の後、似たテーマで研究者を集める研究所ができました。しかしELSIが、珍しい存在であるのは変わりません。過去のELSI国際シンポジウムに参加した海外研究者がここを気に入ったらしく息子に『ELSIはいいぞ』と勧めて、実際にその息子さんが今年院生として入ってくれました」

 黒川さんは大学院生の熱意に期待しているという。

「彼らは自分たちで新たに勉強会を立ち上げるなど研究にアクティブに取り組んでいます。勉強会だけから共同研究、融合研究が生まれることは少ないのですが、異分野の研究者がお互いを知る機会として必要です。院生たちの熱意が今後のELSIを後押ししてくれるんじゃないか。分野を横断するだけでなく、世代を超えて共同研究、融合研究の機会を増やしていきたいですね」

 若い世代の熱意も、異分野融合エネルギーとして作用するに違いない。

【取材・文:緑 慎也、写真・図版提供:WPI-ELSI】

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