10億年前は最近?!
融合研究には分野間の壁を乗り越えるエネルギーが必要
(WPI-ELSI前編)

 「最初は生命誕生に関係ある研究をしているつもりは全くありませんでした。ところが、共同研究者とカフェで雑談中、もし原始地球に最初から海が存在し、次々と鉄が降ってきたのなら、どうなるだろうって話をしているうちに発展していったんです」

 そう語るのは、WPI-ELSI(東京工業大学地球生命研究所)主任研究者で、東工大教授も務める惑星科学者の玄田英典さん。カフェで話し合った相手は、コロラド大学ボルダー校教授で地球化学者のスティーブ・モイジスさんだったという。モイジスさんは2014年4月にパシフィコ横浜で開催された日本地球惑星科学連合大会に参加するために来日していた。後からふり返ると、このときのカフェでのやりとりが惑星科学と地球化学の「融合研究」を大きく前進させたという。

玄田英典さん

 ELSIは、東京工業大学による構想が2012年に文部科学省の事業「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」に採択されて誕生した研究拠点だ。そして今年(2022年)、拠点形成に係る10年間の補助金支援期間が終わり、新たにWPIアカデミーの認定を受けた。

 これまでに蓄積してきた経験やノウハウをいかに所属大学全体や他の研究機関へ広げていくか。それがWPIアカデミーの役割の一つだ。

 多くの世界トップレベル研究は異分野融合により生まれてきた。この記事では、ELSIの研究事例を通して、何が融合研究を活発化させるのかを探りたい。

 さて玄田さんがモイジスさんらと研究をスタートさせた当初の目的はレイトベニア説の検証だった。レイトベニア説とは、地球のマントルに強親鉄性元素が含まれる謎に対する仮説である。ルテニウム、ロジウム、パラジウム、オスミウム、イリジウム、白金、金などの強親鉄性元素(鉄と結合しやすい性質を持つ元素)は本来なら地球誕生の初期、鉄を主成分とするコアに取り込まれて然るべき物質だ。ところが、なぜかその外側のマントルに過剰に含まれている。レイトベニア説は、マントルに含まれる強親鉄性元素は、コアとマントルが完全に分離した後、地球に降り注いだ隕石によって供給されたのではないかという仮説だ。

月の大きさ程度の天体が地球に衝突(衝突速度16km/s、衝突角度45度)した場合のシミュレーション結果。地球のマントルとコアはそれぞれ水色とオレンジ、衝突天体のマントルとコアはそれぞれ青と赤で表されている。”Credit: H. Genda et al, Earth and Planetary Science Letters (2017)”

 玄田さんらの研究は、レイトベニア説によってマントルに含まれる強親鉄性元素をどのくらい詳細に説明できるのかの検証を目指して始まった。その途中で、玄田さんのシミュレーションから隕石に含まれる鉄が地表に雨のように降り注いだ可能性が明らかになった。

 鉄が海の水と反応すれば、鉄が錆び、その一方、水素分子が大量に発生する。

「地球が形成されて間もない45億年前、水素分子に富んだ還元型大気が作られていたことを示唆する結果です。これによりユーリー-ミラーの実験の条件が満たされる可能性が出てきました」

 ユーリー-ミラーの実験は、1953年にシカゴ大学教授ハロルド・ユーリーの研究室の大学院生スタンリー・ミラーによって行われた。容器の中で水を加熱しながら、同じ容器に封入した水素、メタン、アンモニア、水蒸気からなる還元性の混合気体に放電しつづけたところ、1週間ほどでアミノ酸分子などが検出された。無機物から生命の材料物質が合成できることを示した最初の成果で、世界に衝撃を与えた。

「彼らは原始大気の主成分が還元的な気体だったと想定して実験を行いました。しかし、その後、原始大気の主成分は二酸化炭素や窒素酸化物など酸化的な気体だったとする考えが主流になったことからユーリー-ミラーの実験はあまり現実的ではないと考えられるようになったんです。しかしわれわれの研究から、地球ができて数億年の間、大気は還元的で、生命の材料物質を作るのに有利な環境だった可能性が出てきました」

 玄田さんらの論文は2017年12月に「Earth and Planetary Science Letters」誌に発表された。タイトルは「The Terrestrial late veneer from core disruption of a lunar-sized impactor(月の大きさ程度の衝突天体のコアがばらまかれることによって地球のレイトベニアが説明できる)」。その後、他の研究者も原始地球の大気は還元的であったとする研究成果を発表するなど「還元的大気ブーム」が起き、今も続いている。

「カフェでの思いつきはたまたまと言えばたまたまですが、雑談中に研究の核心となるようなアイデアが生まれることはよくあります」

 ELSIは設立以来、融合研究を促進する仕組みを積極的に取り入れてきた。

 その一つが年1回開催しているELSI国際シンポジウム。地球の形成や生命の起源の謎の解明を目指す研究者が国内外から集まるイベントだ。コロナ禍のため2021年と2022年はオンライン開催だったが、それ以前は対面形式で行われた。

「海外からの参加者が毎回20~30人で、約1週間みっちり議論します。参加者の間で共同研究の話がまとまることもしばしばありますよ。僕とモイジスさんらとの原始大気に関する研究がはじまったきっかけも2014年のこのシンポジウムでした」

 シンポジウムの他に、海外研究者を招き、ELSIの研究者と交流するプログラムも用意されていた。

「2、3日の短期よりも、サバティカル(大学の運営業務・教育業務が長期免除される期間。日本では一般的ではないが、欧米では一般的で、10年に1~2回与えられることがある)を利用して、1カ月とか半年程度の長期滞在してくれる人に積極的に呼びかけ、渡航費、滞在費など必要な経費をサポートした上で、ELSIに来てもらっていました。特に欧米の研究者にとって日本は遠い国なので、きちんと声をかけ、物理的に日本で一定期間過ごして、ELSIでの研究活動や研究会を楽しんでもらわないとなかなか共同研究に繋がらないんです。ある程度長い時間を過ごすと、自然に『一緒に何かやってみよう』という話になりやすいですね」

 ワインやチーズと同様、分野が異なる専門家同士の融合にも「発酵」までの時間を要するのだ。

「融合にはエネルギーが必要です。ELSIの中にも様々な分野の研究者が在籍しており、所員全員が参加する研究会が定期的に開かれていますが、自分が発表するときは異分野の人を意識してわかりやすく話さなければなりません。僕のような惑星科学者にとって10億年前といえば最近の話ですが、生物学者には通じません(笑)」

 同じ言葉を違う意味で用いたり、馴染みのない専門用語を連発したりする相手とコミュニケーションを取るのは難しいが、その壁を乗り越えるのにはエネルギーが必要なのだ。

「ELSIは異分野の研究者との交流や、融合研究をしていないと逆に居心地が悪いような環境を作っているといえるでしょうね。コロナ禍で休止中ですが、以前は毎日午後3時にカフェタイムを開いて、半強制的に全所員がアゴラ(ELSI研究棟内のコミュニケーションスペース)に集まってコーヒーを飲みながら交流する時間がありました。ELSI居酒屋も楽しい時間でしたね。こちらは強制ではなくて希望者だけですが、お金を出し合って買ったビールを冷蔵庫で冷やしておいて、金曜日の晩にアゴラの片隅に集まっておしゃべりしながら飲むんです。一見、無駄に思えるんですが、後でふり返ると、『あのときの会話が重要だった』ということが結構あります」

「アゴラ」と呼ばれるコミュニケーションルームでは、ELSIの研究者と学生たちがディスカッションする姿がよく見られる。(Credit: N. Escanlar, WPI-ELSI)

【取材・文:緑 慎也、写真・図版提供:WPI-ELSI】

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